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当時の国語学者が必死になって「女ことば」を残した理由【「女ことば」はつくられる】中村桃子著

今回読んだ本は、
以前読んだ『女ことばと日本語』を
さらに深掘りした内容です。

こちらの方が先に出版されたようです。

読んだ後に私が気になったのは
「なぜ当時の国語学者は必死になって
女言葉を残そうとしたのか」です。

戦後、女ことばに批判の矛先が向きます。
主な論点は2点です。

・男女の言葉使いの違いが、男女の社会的地位や権利の違いを作り出している。
・女言葉の規範は女が主張することを妨げている。


・人権意識が薄かった。

国語学者が女ことばを残そうとした理由の1つに
「言語が特定集団の人権に影響を与えるという認識がなかった」と著者は指摘しています。

そうは言っても、時代が進むにつれて
意識せざるを得なくなりました。
それは「方言」です。

戦時中は、地方の独自の言葉である方言が
否定されていました。
なぜなら、植民地の同化政策のために
統一された言語が必要だったからです。

しかし、戦後になると方言は評価され始めました。

・安心するための材料に利用された。

「女が女ことばを話しているという事実は、日本の社会秩序が無事に保たれていることの象徴である」と、著者は指摘しています。

戦後GHQの改革によって
日本社会が大きく変わりました。
いつの時代も変わることを恐れている人がいます。

そんな中「日本の伝統が守られている」と
国民に安心させるために
女ことばが利用されたのではないかと思いました。

・感想

例文として取り上げられていた
教科書のセリフを見て、
話し手の性別がわかってしまいました。

この本を読む前なら「そんなもんだだろう」としか思っていなかったでしょう。

いつの時代も変わらないものがあると安心します。
その安心するための材料として
女ことばが利用されたというのに驚きました。

もし日本社会の変化で、
別の何かが伝統として残されていたら、
女ことばを残すことに
ここまで必死になっていただろうかと
疑問に思いました。

以上、ちえでした。
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