
ある登場人物目線で読んだら、ビジネス書としても読み解けることに気づいた【飽くなき地景】荻堂顕著
主人公の治道よりも
父親の道隆のセリフに興味が惹かれました。
道隆は、烏丸建設の社長です。
最初は主人公目線で読んでいたので、
「何で自分のことわかってくれないんだ」という父親に対する苛立ちが伝わりました。
しかし話が進むにつれて、
父親の登場頻度が増えてきます。
主人公目線と共に、父親からの視点も入ってきました。
・私の理解を超える道隆の言動
道隆のセリフに興味を惹かれたと言っても、
彼の言動は私の理解を超えます。
その理由は、治道の母親である本妻が
なかなか後継ぎを産まないという理由で
愛人との間に子どもを作ったからです。
腹違いの兄が、後々深く関わってきます。
作品の後半で、ある出来事で
会社が窮地に置かれました。
治道の母である本妻と離婚して、
腹違いの兄の母と再婚するという展開に
更に理解できなくなりました。
1979年の章で出てきました。
この頃はそんなに珍しくなかったのでしょうか。
・気づきのあった道隆のセリフ3選
含蓄に富むこれらのセリフですが、
全て彼の息子である治道に対して
発せられています。
「思うに、お前は物事を一面的に、かつ悪いように考えるきらいがあるな。身内ならまだいいとして、外の人間にそういう言い方をするのは慎むように」
治道の言動を見て、
どこか視野の狭さを感じていました。
「もっと別の見方はないのか」と
突っ込みたくなりました。
そのような息子の性質を、
父親は見事に見抜いていたと感じました。
「自分が何をしてきたかをパッと見せられるようにならなくちゃいけない。日本人は長いこと、内にある美しいものを誰かが評価してくれると思って生きてきたが、そんな傲慢な振る舞いはもう許されないんだ」
1954年の章で出てきました。
むしろ今の時代に言われても違和感がありません。
もしかしたら当時も今も
「特に他人にアピールをしなくても、
いいものなら評価してもらえる」
と思って生きている人が
一定数いると考えました。
「周りに自分の頑張りを察してもらいたい」という態度を「傲慢な振る舞い」と評した道隆の考えが理解できました。
「会社を作りたいから、どんなものか体験するために、まずは会社員になってみるという考え方は、筋が通っているように見えるだろう。しかし見えるだけだ。(中略)つまりだな、会社を作りたいのなら、会社を作ればいいんだ。右も左も分からなくても、社長になってしまえば、案外、他所の社長が目をかけてくれる」
まだインターネットビジネスがなかったため、
今と比べて会社を作るハードルが
高かった時代の話です。
今なら自己資金をあまりかけずに
インターネットで起業という選択肢もあります。
しかし、このセリフが出てきたのが
1979年の章です。
今以上に多額の自己資金が必要だったでしょう。
それでも「会社員として働くことと、会社を作ることは繋がらない」と話しているところに先見の目を感じました。
余談ですが、このセリフの後は
「学芸員の給料では、博物館を作るお金を用意できない。だからうちの会社で働かないか」と治道に勧めています。
・感想
主人公の治道目線で読むと、
「父親と考えが合わない」と思いました。
「父親が自分のことを理解してくれない」と
言いたくなってもおかしくないくらいです。
しかし、父親である道隆目線で読むと
「厳しい社会情勢の中でいかに生き残るか」と
考えて行動してきた
経営者としての一面を感じ取りました。
時には、経営者として
残酷な決断を迫られる様子が伺えました。
経営者としての道隆のセリフを読み解くと、
経営者の自叙伝やビジネス書として
読み解けると気づきがありました。
以上、ちえでした。
プロフィールはこちらです。
他のSNSはこちらです。