あまりの苛烈さに、広く公開されなかった職業の実態【女工哀史】細井和喜蔵著
以前読んだ『蟹工船』を彷彿させられました。
工場労働者、特に当時「女工」と呼ばれた
女性労働者に焦点を当てた一冊です。
三浦しをんさんの書評集に掲載されていました。
女工の募集要項から労働環境、恋愛事情まで
詳しく調べられています。
「よくもここまで調べてまとめたものだ」と感心しました。
プロレタリア文学の『蟹工船』は
発売禁止になった時期もあります。
この本も内容が内容なだけに、
広く知られたら都合の悪い人がいても
おかしくないと考えました。
こちらの本が発売禁止になったことがあるのか
調べてみましたが、
詳しい情報を見つけられませんでした。
・初期は本人の意向を尊重
女工と言うとブラック企業と近い印象です。
しかし、始まった当初は前貸金がなければ
本人や親の意向で退職ができました。
女工と聞くと、今で言うところのブラック企業に近い印象です。
始めからそうだったわけではありません。
しかし、徐々に私のイメージに近づいていきました。
・女工の需要が増えた
綿製品の需要が増えるとともに
女工という働き手が必要になりました。
簡単にやめられては困るので、
束縛するようになりました。
そうなると、労働環境は悪くなります。
労働実態が女工の親に知られたら不都合なため、
交通を避けさせるようになりました。
始めはある程度、成人に近い年齢の女性を
雇用していました。
しかし、次第に小学生にあたる年齢の子どもを働かせるようになりました。
・幼い頃から働かせて起こった問題
1.教育の程度が低いため、言語化能力が低い。
教育については、工場内に小学校はありました。
当時、義務教育に関する法律があったためです。
しかし、あくまで応募者を増やすために用意したものでした。
「働きながら学校行けて親孝行だ」という宣伝のためです。
一般の人に比べたら思想が幼稚なため、
労働組合は作られなかったと言われています。
2.月経時に無理をして婦人病になった。
小学生くらいの年齢だと、
まだ月経がない女工もいます。
母親に月経時の手当を教えてもらえなかったため、
無理をする女工が多かったと言われています。
そのため、婦人病が多かったそうです。
不妊症の多さが目立ちました。
子どもが生まれる割合が
一般の女性が85%に対して、
女工は17%しか生まれなかった
という統計があります。
何とか生まれたとしても乳児死亡率が高く、
1000人中158人が死亡。
その年のうちに320人が亡くなっています。
この数字は一般の2倍にもなります。
・感想
女工の労働環境については、
明治36年農商務省工務局が発行した
職工事情で触れられています。
あまりにも苛烈な内容だったため、戦前、官庁報告書なのに広く配布されませんでした。
余談ですが、退職後に亡くなった工場労働者の7割は、肺結核が原因と言われています。
他にも消化器疾患、脚気、感冒、
眼の病気、前述した婦人科疾患が
多かったと言われています。
これだけでも、苛烈さが伝わりました。
単なる労働搾取に留まらず、
女性たちの人生まで搾取したとしか
言えないと思いました。
以上、ちえでした。
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