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よく残っていたものだ【ワルシャワ・ゲットー詩集】イツハク・カツェネルソン著 細見和之訳

「こんな生活の中、詩が書かれたなんて」
これが正直な感想です。

ワルシャワ・ゲットー蜂起を調べると、
「誇り高き」と表現されています。
閉じ込められていた人たちが、立ち上がろうとしたのが伝わりました。

結局は、ドイツ軍に弾圧され、戦いで生き残った人たちも強制収容所に送られてしまいました。
当時ゲットーがあった場所は、現在記念碑と博物館があるそうです。


・歌え!

最初に掲載されてる「シュロモ・ジェリホフスキのための歌」で、始まりが「歌え〜」と続きます。

まるで「ユダヤ人よ、立ち上がれ」と鼓舞しているように見えました。

・妻と2人の息子へ

「1942年8月14日 私の大いなる不幸の日」では、妻と下の息子2人(3人の息子がいる)がトレブリンカ絶滅収容所へ連れて行かれました。

大切な家族3人を失った悲しみと喪失感が伝わります。
彼らに襲う過酷な運命を想像して、嘆いていました。

・感想

新聞記事で知りました。驚いたのは著者はアウシュビッツで亡くなっていたことです。
出回ってる手記は、『アンネの日記』を除けば、生き残った人が書いてます。

最初にいた収容所に埋められていて、存在を知ってた人が掘り返して、戦後出版されたそうです。

ワルシャワ・ゲットー蜂起の最中に、著者と息子は脱出する予定でした。
著者が戦士として戦えないと見なされていたのもありますが、生き証人としての役割を求められていました。

これだけの詩を書ける人なので、証人の役割を求められても不思議ではありません。

もっとすごいと感じるのは、翻訳した人です。
イディッシュ語という珍しい言語から日本語に翻訳しました。
しかも、機械的にするのではなく、当時の様子や著者の作風を生かしているように感じました。
自動翻訳機能では、ここまで情緒のある文章に翻訳されなかったでしょう。

残念なのが、著者が生き残れなかったことです。
生き残っていたらきっと、詩人、ホロコーストの生き証人となっていたと思いました。

以上、ちえでした。
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