
明治時代にも「若者言葉」に当てはまるものがあった話【「女ことば」はつくられる】中村桃子著
毎年、年末が近づくと
若者言葉の一覧をニュースで見かけます。
その内容を見て
「もう私は若者ではない」と実感します。
なぜなら、それらの言葉を見ても、
意味がほとんどわからないからです。
若者たちが、自分たちだけに通じる言葉を作り出すために生まれます。
こちらの本を読んで、この現象は何も現代に始まったことではないと知りました。
明治時代にも起こっていたことを知って、
当時の人と今の私たちは
あまり大差がないと思いました。
・女学生ことばとは
明治時代に女子も学校に通うようになりました。
そうは言っても、学校教育や社会からは良妻賢母になることを要求されていました。
学校教育から押し付けられた
良妻賢母教育を超越して
独自のアイデンティティを想像する試みで
生まれたのが女学生言葉です。
・作家や知識人からの仕打ち
作家は、女学生言葉を堕落した女子学生の表象として作品に描きました。
知識人は厳しい批判をしました。
挙句の果てに、性の対象物に変換されていきました。
『袖と袖』がまさにそうです。
元女学生だった女性たちが、
女学生言葉を話しているのが象徴しています。
・政治的な抑圧
女が言語を使って、主体的にアイデンティティを表現しようとする行為は、ジェンダーにかかわる政治的権力関係によって抑圧され続けたのである。
女学生言葉については、
直接政府が抑圧したわけではありません。
知識人や作家を通して抑圧したように見えました。
メディアの方面からは作家が
「女学生ことば=堕落した女子学生」の
イメージを作り上げました。
知識人の中には、有識者会議のような国の決定機関にいた人もいるでしょう。
そういう人は、政府関係者と立ち位置が変わらないと思いました。
・感想
当時の女性たちも、
大人たちから押し付けられる理想像に
反発していたを感じました。
「最近の若者は」という言葉は
今に始まったことではないと気づきました。
この時代の場合、若者というより若い女性の方が合っているのでしょうか。
現代でも「最近女性の言葉が乱れてきた」という人がいます。
女ことばの変遷を見ると
若い世代に向かって
「最近の女性は言葉が乱れている」と言っていたのは、今に始まったことではないと知りました。
わたしたちは、そろそろ「昔の女は女らしい言葉づかいをしていたのに、最近は女の言葉づかいが男性化した」という呪縛から自由にならなければいけない。
時代を超えて「女ことば」に縛られ続けているのかもしれないと気づきました。
以上、ちえでした。
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