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左翼活動家の失敗から学ぶ「特定の人物に依存する怖さ」【黎明日本左翼史 左翼の誕生と弾圧・転向 1867-1945】池上彰、佐藤優著
一言で「左翼」と言っても派閥で別れているのを知りました。
戦後前後だと、講座派と労農派に分かれてました。
どちらも左翼ですが、
その後の運命が大きく分かれます。
・コミンテルンに養われていた
コミンテルン…共産主義インターナショナル(Communist International)の略。第3インターナショナルともいう。帝国主義と闘う国際的な共産主義運動を志向したレーニンによって提案され、1919年3月2日に創立大会を開催した。
講座派は、コミンテルンからお金をもらって活動していました。
潤沢なうちは羽振りが良かったでしょう。
しかし資金難になると、
銀行強盗をするほど落ちぶれてしまいました。
コミンテルンに養われていたので、
逆らうことができませんでした。
この事例を見て「お金を提供してくれる人に逆らうことは難しい」と感じました。
国家が絡むとより厄介です。
・労農派のしぶとさ
講座派は逮捕されて転向者が出ました。
「考えを改めたら釈放する」という司法取引があったからです。
面白いのが労農派から転向者が
ほとんど出なかったそうです。
労農派の人たちは、戦時中も言論活動を続けていました。
しかし、それでも無理とわかれば、
農業の研究をして自活しようと努力してました。
感想文では触れていませんが、
こちらの本に詳しく触れています。
「しぶといなぁ」というのが率直な感想です。
・入り口が大事
社会運動をやる上では「入り口」が、ものすごく大事だと思いますね。自分たちで働いてお金を集めるなり、薄く広く寒波を集める。手段を最初から確立していれば、コミンテルンからの援助が絶たれても、スパイに潜り込まれて、多少扇動されようとすぐに銀行強盗に行き着くことはなかったはずですし、そもそもコミンテルンに絶対服従する必要も生じなかったはずです。
この本をシリーズを読むまで
コミンテルンから左翼の活動家にお金が渡っていたことを知らなかったので驚きました。
志ある人たちが、
世直しのために活動している印象を
持っていたからです。
いくら志があっても、お金がないと活動できないと
ごく当たり前のことに気づきました。
・感想
現代のNPO法人や社会を変えようと
活動している人たちにも
同じことが言えそうだと感じました。
一人の人から多額のお金を寄付してもらうより、
多くの人から少額でも集める手段を確立させた方がリスク管理の意味ではいいのかもしれません。
一人の資金提供者に依存することの怖さは
今の時代も変わらないと感じました。
多くの人から広く薄くお金を集めるためには、
共感を得られないと難しいと気づきました。
以上、ちえでした。
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