エゴは相手の表情も変えてしまう
昨日の学び。
コミュニケーションの上で
エゴを乗っけると
本質が見えなくなる。
なぜなら「私=我」を主張したくなって
自分の分かってよ!を相手に押し付けて
相手の背景やそのものを見えなくさせてしまうからだ。
私がこうだから相手もこうなはず
と決めつけてしまったり
相手の一瞬の表情だけを切り取って
嫌われたと思い込んでしまったり…
*
昨日、2ヶ月近くぶりに彼と会った。
私に思うところがあって
彼へのエゴを手放したかったのと、
なんだかんだで宇宙さんの手伝いもあって
この日まで会わないでいたんだろう。
ことが終わってまったりしていたとき、
彼が話し始めた。
「はるかはどこか欠落しているよね」
と。
はるかはとても優しい。
相手の表情や感情を察知するのに長けている。
もしそこに「人の考えを思考する」ことを
身につけたらもっと良いのに、、
だそうだ。
「相手目線で」
「相手の立場に立って」
コンサルさんに言われた言葉を思い出す。
私が苦手とする部分。
出来ないというかやれない。
やり方が分からない。
そう感じていたところだったから
より反応した。
一瞬反発しそうになったけど
気付いた。
「あ、ここで私はいつも耳をふさいだり
戦おうとしたりしてきたポイントなんだ」
ある意味客観的にそんなふうに視れて
落ち着いて彼の話を聞くことにした。
そして私は発見した。
「考える」ことと「感じる」ことは違う。
私は今まで自分にとって都合が悪いことには
耳をふさぎ「怒らせた」と相手の表情を
歪めてしまってたのかもしれない。
自分のエゴ越しに見て
「間違ってる!」と敵視していたのかもしれない。
傷付くことを恐れて話を最後まで聞かず
かわしたり、でっち上げたり…と
していたのかもしれない。
「相手の立場に立って」ではなく
「自分目線で都合よく」物事を
視てしまっていたのかもしれない、、
そんな気持ちになった。
反省とか自分を責めるとか
そういうんじゃなく、
ただただ素直にそう思えたのは
多分彼が私を想って
言葉を選んでくれたからだと思う。
「相手の考えを思考する」とはこういうことか。
またひとつ彼に教わった。
そしてずっと前からコンサルさんに言われてた
"お客様目線"についても
なんとなく感覚で受け取れたように感じる。
私は人と関わることを避けて生きてきた。
だから「自分の気持ち」には長けている。
だけど自分ひとりでは生きられない。
これからの未来を生きているために、
ましてや自分でビジネスをしたいのだから
絶対的に他者との関わりは不可欠だ。
だからこそ「相手の思考を考える」習慣は
とっても必要だと思う。
でもね、このタイミングでしか受け取れなかったなと思う。
なぜなら私には先に
手放すべき「エゴ」があったから。
満月の日、セッションをしてもらった。
セッション前も泣いたけど
セッション中、セッション後は
また違った涙が床に水たまりを作るほどだった。
涙の質は「悔しさ」。
自分をうまく使えない悔しさ。
自分をエゴの世界に留めさせてしまう悔しさ。
そんな「私=我」でいっぱいの悔しさを
もちろんまだまだ出てくるがひと通りは出し終えた。
そんな昨日の出来事。
だから戦わず逃げ出さずに
彼とまっすぐ向き合って
最後まで話が聞けたんだと思う。
私の望む「真実のコミュニケーション」。
その本質をわかったつもりでいたけれど
これすら自分に都合よくさせていた。
だからまた改めて。
感情を理解するのではなく
考えを想像する。
そして相手の考えも考慮した上で
自分の気持ちも大切にし、
お互いが納得できる調和のとれた
「正真正銘のコミュニケーション」を
これからは目指していきたい。