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月のテハナシ

昨日の夜、お話し会に参加した。

テーマは『それぞれの月の検証』。

月とは自分の月星座のことを言い、
度数、太陽星座の目指すもの、
その他の惑星との絡みもあり
ひとりひとり同じになることはない。

本来の自分を生きようとしたとき、
抵抗や抑圧、エゴやプライドといったもので
自分をストップさせてしまうもの。

それが『月』によるものだと良美さんは言う。
そして私も自分を振り返り、そう実感する。


お話会前はひとり 自分の月に対して
セッションの録音を聴きながら
浮かび上がる情景、過去の出来事、
抱え込んでいた波動を頼りに
粛々とテハナシを進める。

日中も底の方にまで辿り着くことが出来た。
(といってもまだまだ潜れるけれど。)

そんな夜のお話会。

他の人の月を聞き、
それぞれの内側のアウトプット。

私の中で知見が広がった。

底だと思っていたものに色が付き、
さらに奥行きが出てきたのだ。

私の人生の大半は人を恐れて生きてきた。

どう思われるか理由もなく怖い。
緊張から心が開けない。
仲良くしたいのにどうして…と
ずっとずっと悩んできた。

これまでもテハナシを進めて
だいぶ世界は変えてきたけれど
やはりどこかしんどさはあって…

それが自分の『月』によるものだと知り、
全てが納得出来たのだ。

セッション後はこれまでの
友達付き合いや家族、職場などなど
他人との記憶を頼りにこうだったのかな?と
明確なものではなく波動を頼りに
内側にあるものをひたすら外に出すことをしていた。

一貫して出てくるのは "冷たい視線"…

その根っこにお話会の助けもあって
今朝、辿り着けた気がする。


思い出されたのは幼い頃の母の視線だった。

母を怒らせたとき、
声を荒げて怒鳴りはしないけれど
私に向けられる視線はとてもとても冷たかった。

「私はあなたを受け容れない」

母は私を拒絶していた。

愛してないとかそんなんじゃなくて
私の世界を壊さないでという母の怯えのようなものを
幼ながらに私は感じ取ったのだと思う。

私に罪悪感を持たせ、
私の存在を全否定するかのような
冷たくて厳しい目…

だけどとてもつらそうで
とても悲しげで張り裂けそうな
母のあの視線を
私は見るのがとてもとても苦しかった。

「私が悪い」と請け負うこと。

それが唯一できる私の役目で
自分の存在価値としてしまったんだろう。

それからというもの、
私は母を理解することに
一番のエネルギーを注いできた。

母を助けねば…と、
誰よりも気を使い 思いを汲み取り
迷惑をかけないように

またあの視線を向けられないように。

私は一生懸命生きてきた。

でも

本当は私も甘えたかった。
どんな私も受け容れて欲しかった。

ちゃんと"子供"がしたかったんだ。


また、母に気に入られるために
私は母と同じように周りと
接していることにも気が付いた。
(他の方のシェアのおかげで)

亀の甲羅のように自分を閉じ込め
「私はあなたたちと違う」
そうプライドを守ってきた母の姿を…



月を手放すことは母の姿を脱ぐことだ。

愛情という膜で覆われ、
自分の一部と化している母の姿を。

だからこそ引き剥がすときに
強烈な痛みが生じる。
失う恐怖が襲いかかる。

だけど

母の姿を脱いだとしても
母を捨てるわけじゃない。

むしろ反対に
お互いの自由を許す大きな一歩。

愛情という痛みを涙に変えて
母との間に隙間をつくる。

そして自分の心を潤わせたら
集合無意識を通じて母へもきっと届くはずだ。

母と私は一心同体なのだから。

きっと死ぬまでテハナシは続くのだろう。
そのくらい私は母を心から愛している。


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