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大好きを自分に許す

またひとつ扉が開いた。

何もしなくても
大好きになられることを
自分に許せた。

ここはなんて温かい世界なのだろう。

恐れを手放した先に
自分から出てきた言葉は

「もう私はひとりじゃない」

素直な気持ちを素直なままに
これからはたくさんの人に
心を開いて生きていこう。

嫌われることに怯えて
自分をひた隠しにして生きてきた私だったけれど

好かれることも同じくらい怖かった。

そう気付かせてくれたのは
私のことを純粋に信じて
好きでい続けてくれていた彼女のおかげ。

彼女とは1年半ほどの付き合いになる。

彼女は私に全てをさらけ
ゆだねてくれている。

なのに私は"ちゃんとしなきゃ"に縛られて
心を開けず、自分の全てを出せていない。

でも彼女はそんな私を信頼し、
まっすぐに好きだと伝え続けてくれている。

私はそんな彼女の想いをどこか
重たく憂鬱に感じていた。

でも本当は
大したことのない自分を知られて
失望され、嫌われてしまうのが怖かった。

嫌われるくらいなら
最初から受け取らなきゃいい。

ふと、小さい頃の記憶が頭に浮かんだ。
深夜にテレビを見る母の後ろ姿だ。

私は布団に潜りながら母の背中を見ていた。

ビールを片手にテレビをぼーっと見る
母の背中はとても疲れていて
私の気持ちをぶつけたら崩れてしまいそうだった。

だから私は寂しさに蓋をして
ひとりまっくらな布団の中、
声をひそめて 泣いた。

大好きだからこっちを見て欲しかったし
大好きだから一緒に時間を過ごしたかった。

けれど、あの時間を奪ってしまったら
母は私の元からいなくなってしまうような気がしていたのと

私は私で
私の「大好き」がもし拒まれてしまったら…と
それがとてもとても怖くてたまらなかった。

大好きな人に拒まれることは私にとって、
自分の存在そのものを否定されるのと同じこと。

それからというもの、
私は「大好き」に対しても素直じゃなくなった。

慕ってくれてる人が現れても
自分から遠ざけたり 壊したりしてきたし

当時熱中していた絵も
いつの間にかやめてしまった。

好きなミュージシャンも
感動する本も「別に」になって…
"好き"に対する感度を弱らせてしまったのだ。

「好きになることは失うことがセット」

だから私は一線を引き、
自分の心を動かせなくさせたのだと思う。

もう、傷付きたくなかった…

だけど先日、突如扉が開いた。

自分でも意図せぬ拍子に開かれたもんだから
びっくりして戸惑った。
だけど素直に自分にこう思えたんだ。

「もう、私は大好きになられてもいいんだ」と。

理由はまだ分からない。
自分で自分を認められたからかもしれないし
どんな自分でも自分の価値は変わらないと
信じられるようになったからかもしれない。

いずれにしろ嫌われることも
請け負える私となれたようだ。

あの頃の私は「大好き」さえも
人に預けるしか出来なかった。

好かれるも嫌われるも他人基準。

だけど今の私の感覚としては
"私が好きならそれでいい" になっている。

そう、嫌われても拒まれても
私が「どう感じるか」が大事なのだ。

開かれた扉はそんな私の
内側の変化なのかもしれない。

そしてそれもこれも
ずっと「大好き」を伝え続けてくれた彼女が
私の心の氷を溶かしてくれたに違いない。

そのくらい「大好き」のエネルギーはでっかい。

私も彼女に見習って
素直に「大好き」な気持ちを
たくさんたくさん流していきたい。

不安や恐れの波動を包み込んで
全ての人が好きでいっぱいになれるほどに。

そしてもちろん彼女に対しても
今度は私から「大好き」を届けていこう。

嫌われても好かれても
私が私の気持ちを信じていれば
もう絶対ひとりにはならないのだから!

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