映画「野のユリ」を観て驚いた
最後に、教会の塔の中にこっそり自分の名前を描いて、いやいやそれはいかん、と思ひ直して消すのかと思ったら、そのまま。
衝撃的。
まさか、これのために作ったん?
自分の名前を残したかったの?
しばらく呆然となりました。
この主人公は神もキリスト教も信じてないとしか思へない。
自分の行為を空から見てゐる神はもはや信じられないが、塔の中の名前を発見する後世の誰かが存在することは信じられる。その誰かの頭の中に、名前として蘇る自分の存在、さういふものだけを信じるのが、名誉欲の実体だ。
自分が一人で建てた。称賛されるべき、その能力と意欲、そこに自分といふ存在の拠り所を求めるのは、まったく現代的だ。
個人の存在を担保させるつもりの一神教の神が何処かにいってしまったら、もはや、心身の朽ちた後に残せるものは名前だけ、といふことで誰もがなんとか社会に認めてもらはうと、そのためだけに仕事をしてゐる現代。その先駆けだったのかも。
わたしが脚本書いたら、
「あなたの名前を描いて」
と頼まれて断る、もしくは、「みんな、一人一人、名前を描きませう」とか勧めて、自分は描かないで立ち去るなんて展開にしたかも。
観たのは2度目。紹介記事を読んで気になってAmazonプライムにあったのを観ました。
この場面は覚えてなかったけど、いかにもパックスアメリカーナのプロパガンダ映画☆らしい、いい話っぽいのに、前回も
いい映画だ
といふ印象が無かったのは、この場面のせいだったかもしれないと思ひました。
お金をもらったはうがまだマシだったのでは?
☆アメリカの自由と民主主義のおかげで世界が次々と平和で繁栄した社会になってるのだといふ歴史的事実が忘れられないやうに、アメリカの名前を署名することの象徴だったのかな?
エンディングの
AMENは
AMERICAN
のことかもしれません。