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私の終活 最後の断捨離①

 4年前に母が亡くなり、その3年後の去年、父が亡くなりました。
 両親ともに、亡くなる日までごく普通に生活し、寝たきりなることも入院する事もなかったのです。
 誰もが憧れる「ピンピンコロリ」の人生を実現したのでした。
 両親を見送る以前から、私は身の回りの片付けが人生後半では大事だと思い、「整理収納アドバイザー」の資格を取ったり「終活アドバイザー」の勉強をしたりしていました。
 ですから普通の人よりは頭では「終活」の事を分かっていたつもりでした。
それでも実際に両親を亡くした時の経験から学んだ事の方がはるかに多く、重要だと思うのです。
 特に一番大事なのはどう財産を残すか?ということです。どうしても苦労して手に入れた不動産は、何とかそのまま子供たちに残したいと思うのが親心ではないでしょうか?
しかし不動産は相場が常に変動し、また処分に時間がかかります。手数料などもかかりますから子どもがいる人こそ、自分で不動産を所有することはある程度の年齢で辞めて、体が動くうちに「終の住処」としてコンパクトな賃貸に引っ越すことをお勧めします。
 不動産を自分の手で現金化しておくことは、もし老人施設に入る時には資金として使えますし、遺産として分ける時にも子ども達にとってはありがたいでしょう。
 そしてできるだけコンパクトな賃貸をえらんで、そこには普段使う物だけを置き、「思い出の品」や「いつか使う引き出物」などは、リサイクル店などに売り処分しましょう。
 普段使う食器はお気に入りの物、軽くて使いやすい物だけにします。服も上等で流行に左右されない物を季節ごとに3〜4着に絞ります。
 どんな服を残すのか?と迷ったら、自分が老人ホームに入ったと想像して見ましょう。和服やフォーマルドレス、パンプスは必要ないでしょう。
 入院した事のある方なら分かると思うのですが、人間は本当に「立って半畳、寝て一畳」のスペースが有れば生きていけます。食事を載せるテーブルと、本を読むための小さなスタンド、寝心地の良いベッドがあれば十分なのです。
 コロナ禍の生活で、私は「本当に必要な物」や「大切な事」「大切な友人」が分かった気がします。
わかってからは、中途半端なランクのアクセサリー類やバッグ類は随分処分しましたし、普段の服の買い方も変わりました。
 歳をとるほどに欲を減らして、買う時に熟考すること。本当の断捨離は、捨てる時ではなくて買う時既に始まっているのだと言えるでしょう。
 「思い出の品だから」とか、「思い出の写真だから」となかなか捨てられない人は言うのです。
でも実際の物が無くても思い出は無くなりません。大切な思い出はあなたの頭の中にあるのですから。    

 人生を振り返る時、誰とどんなに濃密な時間を過ごしたかで、「あー良い人生だった」とか「本当に楽しい人生だった」と思えるのでしょう。
それは誰にもわからない事です。あなたが幸せだったと思うかどうかです。

 そして人生の終わりにあなたがどれほどの記憶を維持できているか?さえも神のみぞ知る。としか言えませんよね。
 だとすると、思い出すらも人生の最後には必要では無いのかも知れませんが…。

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