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SNS無賃労働をやめられない奴隷たち

私たちは、日々の生活の中で、驚くほど多くの時間をSNSに費やしている。だが、その行為を「無賃労働」と捉える視点を持つ人は少ないだろう。哲学者マルクス・ガブリエルは著書『欲望の時代を生きる』で、「Facebookは投稿者に賃金を払うべきだ」と提言している。実際、私たちはビッグデータの構築に膨大な時間を無償で提供している。そこに労働の自覚がないのは、まさに現代の「強制労働」と同質の問題を孕んでいるのではないか。

SNSは無賃労働の温床

SNSに投稿する行為は、単なる自己表現やコミュニケーションではない。膨大な情報が企業によって収集され、解析され、利益を生むビジネスの原動力となる。たとえば、やや上からの角度で自撮りをする人がいれば、それは小顔に見せたいというコンプレックスの表明と解釈される。その情報は、化粧品や整形外科の広告ターゲティングに活用される。これを営業マンが集めるとすれば、膨大なコストがかかるだろう。しかし、SNSはユーザーから無料でこれを吸い上げるシステムを構築している。投稿者が「自己表現」と思い込む行為は、貴重なデータ提供にほかならない。

働かされている自覚のない大衆

SNSを開くたびに、私たちは「いいね」やコメントといった報酬を得て、再び投稿を続ける。スマホを通じて脳にプラグインされた私たちは、脳内麻薬を巧みにコントロールされ、大量の時間と労力を費やしている。

労力とは、エネルギーの消費である。そのエネルギーを、SNSはデータと共に吸い取っていく。結果として、私たちが失っているのは時間だけではない。仕事や学び、対面での交流といった生産的な活動に割くべきエネルギーをも失い、無気力が蔓延している。SNSは現代の人々の活力を奪う「見えない吸血鬼」と化している。

自己表現の幻想

さらに問題なのは、SNSにおける自己表現が自分ではなく、「理想の自分」を投影する行為に過ぎないという点だ。理想の自分を表明することで、自らの欲望や不安を露呈している。これは企業にとっては極めて価値のある情報だ。たとえば、ブランド品を並べて撮影することで、虚栄心や他者からの承認欲求が垣間見える。それがまた、さらなる広告ターゲティングの材料となる。

つまり、私たちは自己表現しているつもりで、自分が強烈に求めているものや抱えている不安の情報を無料で提供している。この構図は、もはや搾取以外の何物でもない。

変化の必要性

このような状況を変えるためには、まずSNSを利用すること自体が労働であるという認識を持つことが必要だ。投稿する前に「この行為が誰の利益になるのか」を考えるだけでも、無意識の労働から解放されるきっかけとなるだろう。

結論

SNSは現代の「強制労働」の新しい形態であり、私たちはその奴隷と化している。この構図から脱却するためには、自覚と行動が必要だ。脳内麻薬によって支配されるのではなく、自分自身の時間とエネルギーを守るための選択をしなければならない。

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