
推し活ってムズカシイ
はじめまして。COCOと申します😌
親友がやっていたnoteに触発されて、私もはじめてみました。
普段から小難しいことを考えることが大好きで、それが故、眠れなくなったりすることもあったり、なかったり。
そんな私が普段考えてる事の一端をお見せできれば。
そして、そんな私に共感してくださる方がいれば。
そんな気持ちでnoteを書けたら、なんて思いです。
ちなみに更新は不定期です。
ふと何かを思ったタイミングで、思いを綴ります。
さて。
最初のテーマは、タイトルにもある通り。
『推し活ってムズカシイ』よねって話です。
最近、推しが変わりました。
元々はドームをいっぱいのファンで埋め尽くすようなTHE アイドル!が好きでした。
会えてもまるでアリのようで、小さくて、私がいてもいなくても、きっとこの人は生きていける。
『私の生きがい』というだけの存在。
今までは、それが私にとっての『推し』でした。
推しが変わったのは、とあるテーマパークに足を運んだことがきっかけ。
私の一歩先、目の前で迫真の芝居が行われる。
そんな空間に、そしてその芝居をする人に、私の心がまるごと持っていかれてしまいました。
今の推しは、テーマパークのアクターさん。
もちろんお仕事はそれだけではなく、劇場でお芝居をしたりなんかもしています。
今まで推していたアイドルとは打って変わって界隈の規模が小さい分、簡単に会えてしまう。簡単に話せてしまう。簡単に覚えてもらえてしまう。(言い方があまり良くないかもしれませんが、私の感覚的にはこんな感じ。)
コミュニケーションが一方通行じゃない。
リアクションが返ってくる。
私が応援していることが認識されている。
推しを応援している意味を感じられるような、推しのために注いでいる労力(推しが大好きで勝手に推してるだけだから、労力なんて言葉は妥当ではないのかもしれないけど)がちゃんと形になって返ってくることが、とっても嬉しかった。
私がアイドルを推していたとき、夢見ていたものが
あまりにも簡単に手に入ってしまう。
すごく不思議な感覚でした。
ただ、メリットとデメリットは表裏一体だな、と感じることが増えました。
推しに対して発した言葉が、そのまま相手に伝わる。
これはアイドルを推していたときは、感覚として得られないものでした。
あまりにも私からは遠い存在すぎて、どうせ私のこんな一言は届いてないだろう(もしかしたら届いていたのかもしれないけど、それを知ることはまず無かった)。
今まではこんな感覚。
でも今は、どんな一言でもリアクションが返ってくる。
私の言葉を受け取ってることが、わかる。
うれしさの反面、自分の言葉に責任が増えたような、そんな気持ちになります。
もちろん、どんなに推しの存在が遠くても誹謗中傷はダメだし、相手の気持ちを考えなければいけないのは当たり前。
でもそんな当たり前とは何か違う、別の配慮が必要になった気がしています。
私が考える『推し活』って、言いたい時に好きなように『好き!』って言えることだと思っています。
それが、できなくなっている気がする。
好きな人に嫌われたくなくて『その人が求める私』を演じている時のような、そんな感覚をまさに今感じています。
推しに『この子がファンでよかった』と思ってもらえるようなファンになりたい。
そんな気持ちが先行しすぎていて、私がしたい推し活が思うようにできない。
界隈が大きかったから届かなかった声が、届いてしまうとこんなことが起きるのか、と。
推し活ってムズカシイなあ。
そんなことを言いながらも、推しがいないと生きていけない!と豪語している私なので、離れることはないのですが。
推しとの付き合い方、推し活との付き合い方、そして推しへの思いをどうにか、コントロールできるようにならなければ、と思います。
ないものねだり、ってきっとこういうことを言うんだろうな。
でも、ないものねだりで終わらせずに、どうにかこの気持ちと、推しと向き合っていきたいな、と思う今日この頃です。
長い長い私のひとりごとにお付き合い頂き、ありがとうございます。
では、またどこかで🍀* ゚
COCO