マッチ売りのおじさん
我が家の庭には3畳ほどの畑があって、今はそこで小松菜や玉ねぎを育てています。
初めてだから、自信はないけどうまく育つようにと奮闘しています。
特に小松菜なんかは寒い時期は全く成長が見られず、ようやく大きくなってきたと思ったら鳥に葉っぱのやわらかいところだけを見事に食べつくされるなど、苦難続きの人生です。いや、葉生です(犬生とか猫生みたいに言うな)。
全ての小松菜が茎だけになったのを目にした瞬間、私の心も茎だけになって折れかけましたが、「葉は復活します!」という情報を信じて、ネットを設置し、肥料をまき、適度に水を与え続けました。
先週あたりから、春らしい気候のおかげか成長が著しくなってきています。
ところで学校現場では、2月半ばを過ぎると「卒業生を送る会」の準備を行うところが多いと思います。
御多分に洩れず私の勤務する小学校でも、バリバリやっております。
働き方改革やコロナウイルスの関係で、大人数で1つのものを作り上げる活動が減った昨今、「卒業生を送る会」のような行事は珍しく、子どもたちはいつも以上にやる気です。
私はそのやる気をなくしたくないと思い、学年で発表する内容を子どもたちに決めさせることにしました。
チームも自分たちで話し合って組ませました。その際には、
他の学級の児童とチームを組んで良い。性別も混ざって良い。来年度に向けて、いろいろな人と関係を築いてほしい。
8~10人くらいのチームが望ましい。人数が多いため、仲の良い子ばかりが同じチームになるとは限らない。むしろそれが良い。新鮮な人間関係を前向きに捉えてほしい。
仲の良い関係であっても、やりたいことは違うかもしれないということを考慮して話し合ってほしい。
と言葉を投げかけました。実際には1つのチームが3人になったものの、トラブルなくチームを決めることができました。
発表する内容を決めさせる際には、
自分たちで話し合って内容を決めることで、やる気をもって行事に参加してほしい。
リーダーを決めてほしい。先生との打ち合わせは毎回リーダーが行うようにして、円滑に準備を進めたい。
リーダーはチームを無理にまとめなくて良い。全員が協力しようとするチームを目指し、まとまらないのをリーダーのせいにするようなチームにはならないでほしい。
責任をチーム全体で取れるような形が望ましいと思う。だから、「2人がダンスをして、残りは恥ずかしいから立っているだけ」のようにはせず、みんなが主役になるようにしてほしい。
発表が失敗しても、卒業生が楽しんでくれるなら成功だと捉えよう。
と話しました。
それで子どもたちは、休み時間になると体育館に行ってバスケットボールのシュートを練習したり、卒業生が6年間を振り返ることのできるクイズを作ったりしています。
最初はまとまりの悪かったチームも、練習を重ねるごとに自分の役割を見つけ、果たそうとする子が増えてきました。
勢いに乗った子どもたちの成長は著しく、準備や片付けの速度が日に日にアップしています。体育の着替えや帰りの支度など、行事とは関係ないところにも影響を与えており、逆にこちらが置いて行かれそうなほど。
私は、子どもたちに置いて行かれそうになることが、とても嬉しい。それはつまり、「先生がいなくてもやっていける」ということだから。
我が家の小松菜や玉ねぎに先駆けて、実りの時期がやってきたようです。
大収穫祭は目の前。
子どもに行動させるだけでは二流で、一流の教師は子どもの心に火を付けると聞いたことがあります。
個人的には、こちらから炎のついたバーナーを近付けて情緒なく燃やしてしまうのではなく、子ども達自身の力でマッチを擦ってほしい。
つまり、私はマッチ売りのおじさんになりたいのです。
ご存知の通り、道ゆく人に「マッチ、いりませんか?」と小さく呟くだけではうまくいきません。マッチを手に取ってもらいやすくするための工夫が必要だと思っています。
私が子どもたちに話すときには、
〇〇だから、〇〇してほしい(○○したい)。
〇〇だから、〇〇してほしくない(○○したくない)。
というように、自分の意図を丁寧に伝えることを心がけています。
もちろん、
〇〇しましょう。
〇〇してはいけません。
だけでも指示は通ります。
でも、子どもたちは教師の意図までは分かりません。注意を受けても納得できず、大きな誤解を生んだり信頼関係に傷が付いたりします。あるいは、とにかく合格をもらえれば良いやとなって、やる気が冷めてしまいます。
湿気ったマッチをいくら強く擦ったって、火が付くわけはありません。
教師2年目の時、私は1か月に一度、他の学校の勉強会に参加していました。講座を担当していたのは、定年退職まで管理職ではなく現役を貫かれたS先生。
先生はある日、こんなことを仰いました。
圧倒的な明るさと力強さを備えた「スーパーパワフルおばちゃん先生」は、子どもたちに自分の考えや気持ちを丁寧に伝える「スーパーきめ細やかおばちゃん先生」でもあったのです。
当時の私は、子どもに火を付ける先生というのはこういう人のことかと合点がいき、自分もそんな教師を目指そうと思いました。
私も心に火を付けられていたわけです。
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