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【反省と誤算】映画「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」-徹底考察&ネタバレあり感想

どうもTJです
今回は前作から5年、公開から多くの賛否が飛び交っている「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」についてネタバレありで徹底考察していく

あらすじ・キャスト

理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。

映画.comより

主演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ
監督:トッド・フィリップス

※TJメモ
タイトルの「フォリ・ア・ドゥ(Folie à deux)」は、「2人狂い」という意味で、ひとりの妄想がもうひとりに感染し、2人ないし複数人で妄想を共有することがある感応精神病のこと

前作「ジョーカー」とは何か

まず今作を考察する前に前作について触れておきたい
前作の「ジョーカー」とは、冴えない障害持ちの白人男性が社会から虐げられ、その帰結としてジョーカーという悪のイエス・キリストが誕生した物語だと思っている

飛躍した話に聞こえるかもしれないが、前作は1976年公開、「タクシー・ドライバー」のいわば現代版リメイクといった作りになっており、その監督マーティン・スコセッシは敬虔なカトリック教徒
ラストを見てもジョーカーを(悪の)イエス・キリスト的人物として描いていることに間違いはないと思う

ジョーカーに集まる信者たち
https://images.app.goo.gl/Grx9zhrATTqtYSTh8

そんなキリストが誕生したところで前作は終わった(捕まったけど)
完璧なラストだったと思う

しかし今回、続編を作ってしまった
続編を作るならばキリストは殺さないといけない
監督のトッド・フィリップスもこのことは理解していたようで着地点は悪くなかった
しかし、そこに至るまでのアプローチが酷すぎた

残念なアプローチ

アーサーが刑務所に収監されているところから物語は始まるが、その後謎の女リーと出会い、舞台は法廷へと移る
今作はミュージカル映画かつ法廷劇であるが、このアプローチがハッキリいってミスりまっている

まずミュージカルについて
今作はアーサーの妄想がミュージカルという形で表されているが、効果的には働いていない
そもそも、どこまでが現実で、どこまでがアーサーの妄想か分からないところが前作の良さだった
この曖昧さこそが観客をアーサーの世界へと誘い、物語に程良い余白を生み出していた

https://www.imdb.com/title/tt11315808/mediaindex/

今作はミュージカルという形で妄想と現実を明確に区分してしまっているせいで前作の良さは失われるばかりか、ミュージカル自体も単調で退屈な作りとなっている
トッド・フィリップスは、「ミュージカル映画として観てほしくない」と発言しているが、ここまで歌を多用しておいてそれは無理があるだろう

また法廷劇というのもマイナスに働いている
法廷劇とは当然のことながら、法廷内で進行するので閉鎖的だ
だからこそ結末がどうなるのかのフックが重要になるのだが、今作の裁判の結末にはあまり惹かれない
法廷では前作の犯罪はアーサーがやったものなのか、それとも別人格のジョーカーがやったものなのかと論戦が繰り広げられるが、これを2時間近く引っ張るのは退屈すぎる

https://m.imdb.com/title/tt11315808/mediaviewer/rm3526517249/?ref_=ttmi_mi_all_73

このテーマならアーサーとリーが刑務所大衆から逃げ出し苦悩する、逃避行として描いて欲しかった

変わり映えとしない閉鎖的な展開な上に、単調なミュージカルでいちいち話の進行を止められるのは一観客としてのストレスを感じる

ファンダムの否定、正しさの肯定

終盤になってようやく物語は動き出す
一時は大衆の期待に応えようとジョーカーとして法廷に出てきたアーサー
しかし小人症のゲイリーの証言を得て彼はジョーカーを辞める(=殺す)
アーサーにとって彼は唯一の友達であったが、ゲイリーにとってもそれは同様だった
前作で、アーサーは社会から見捨てられてジョーカーとなったわけだが、その中でもゲイリーは唯一アーサーのことを見ていたわけだ

しかし社会は、大衆はジョーカーを望んでいた
一部の過激派が爆弾を積んだ車で法廷に乱入
アーサーはファンの助けを借りて法廷から逃げ出すが、すぐにファンからも逃げ出す

https://m.imdb.com/title/tt11315808/mediaviewer/rm3513660417/?ref_=ttmi_mi_all_129

ようやく愛していたリーとあの階段で再開したアーサー
しかし「ジョーカーはいない」と自ら告白すると、リーは立ち去ってしまう

最初の問いに戻ろう
「ジョーカー」とは何か
それは悪のキリストであり、やがてそれは大衆によって本人の意思に関わらずアイコン化していった(実際のキリスト教のように)

今作の謎の女「リー」とは大衆、ファンダムの象徴である(だから彼女のことはあまり語られない)
リーが愛していたのは偶像化した「ジョーカー」であり、アーサー自身ではなかったわけだ

ジョーカーのメイクをしてから、性行為をする
https://m.imdb.com/title/tt11315808/mediaviewer/rm1364356353/?ref_=ttmi_mi_all_77

ファンダムの否定
これは前作の影響を受けて世界中で起こった犯罪たちに水をかける行為であり、メッセージとしては正しい

しかし、娯楽作品としてはどうなのだろうか
ファンダムを否定しながら、娯楽性までも否定してしまったら元の子もない
ファンダムを否定しながらもエンターテイメントとしては成立させる方法はあったはずだが、トッド・フィリップス、そしてホアキン・フェニックスはどこかでビビってしまったのか
安易な道に逃げてしまったように見て他ならない

アーサーは再び刑務所に戻り、そしてジョーカーのファンに殺されて幕を閉じる
ファンダムの暴走は現代のSNSで頻繁に見られる現象
アーサーは自ら“ジョーカー”を殺したが、ジョーカーという偶像”は既に彼の手中になかった

最後の着地点に関しては納得できるものだったように思える

前作とオーバーラップするジョーカーの最期

総評

TJ的評価は⭐︎1.5/5
続編としての着地点は正しかったが、娯楽作としてはファンの期待に添えるものではなかったし、製作陣がむしろそのことを放棄しているかのようにさえ感じられた
トッド・フィリップスならもっと鋭角な作品を作れたのではと考えてしまう


ということでいかがだっただろうか
今後も気になった映画は新作、旧作問わずレビューしていくのでスキ、フォロー、コメント等是非!
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では!


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TJ
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