語り尽くされてても語りたいこと:辻仁成さん

 辻さんの文章は、まるで、わたしにだけ話してくれているような特別な感情を抱かせる。

 こっそり話してくれているような。なんでやろか。十代のわたしに、辻さんの文章は響いた。読書してる間は安心した。

 まず、エッセイに惹かれた。"音楽が終わった夜に"という本がある。装丁も好きだ。いろんなところに持ち運び、何度も読んだため、ボロボロになった文庫本。辻さんはECHOESというバンドを組み、メジャーデビューを果たし、音楽活動に邁進していた。その時代のことを記したエッセイだ。ECHOESとして、デビューするまでのバンド活動の紆余曲折がありのまま記されている。情けないところも剥き出しで、記されている。音楽が好きなことが伝わってくる。表現したいんだ!と、辻さんのSOULの叫びを直に感じる。若さ故の失敗だって、剥き出しで記されている。ECHOESとして、メジャーデビューしてからの日々も書かれていた。全国を回るコンサートツアーの話、ツアー先のホテルでの話。どれも人間・辻仁成そのままが記されているように感じた。何の見栄も誇張もない、生きた文章だ。わたしはそのとき、ECHOESの曲をほとんど聞いたことはないが、歌詞だけは知っている。たしか、詩集を買って読んだんだ。文章と同じく、剥き出し、今思うことを本気でぶつけている。社会問題についての歌詞やラブソングだって、剥き出し。かっこいいよ。
 
 "そこに僕はいた"もよく読んだ。こちらは、辻さんの子供のときからのことが書かれたエッセイ集。過去を懐かしむだけじゃなくて、そこから今の辻さん自身がどう感じるのかが書かれている。自分自身を客観的に見る辻さんを見るわたしという読者という構図になり、辻󠄀さんの人生を感じられるし、辻󠄀さんが感じたそのときの気持ちをわたしはたしかに受け取った。やはり、辻さんの本は、読んでいるわたしにだけ、こっそり話してくれているような感覚になる。なんでやろか。

 "ピアニシモ"という小説を読めば 、誰もが成長の過程で、自分自身の中に部屋をつくり、そこに住む自身を感じるときがあるってことを教えてくれる。わたしはそう感じたんだ。主人公トオルとヒカルの関係性は、仲良しとも敵対とも捉えられる、揺れ動く心の機微が、記された文章はきらきらざらざらと快と不快を差し出してくれる。

 "海峡の光"という小説は、刑務所で働く主人公の元に、やってきた囚人はかつて主人公をいじめていた男だった!というところから始まり、主人公のいじめっ子への今の気持ちやら過去の記憶やらが溢れ出す様に読者は、わたしは夢中になった。ラストは衝撃で、読後放心状態になった。 

 昨年、夏に緊急入院する機会があり、その入院期間中に、何か本を読もうと思い、ふと辻仁成さんのことを思い出した。実家に置いていた辻󠄀さんの本たちを両親に持ってきてもらい、全て再読した。なんだか辻さんと話しているような感覚になった(病気の症状ではありません)。

 今、辻さんはパリで暮らしている。物書きとして、今も書き続けている。辻さんが最近出された本を、わたしはほとんど読んでいない。ふと、辻仁成さんのことを思い出したら、また読んでみたい。というか、今ECHOESをよくYouTubeで聞いている。それがかっちょいいんだよ。十代のときに辻󠄀さんの文章に出会えてよかった。あの読書時間は、晴れた日、丘の上のでっかい木の下で木漏れ日に照らされ、寝転んで感じてるような安心だったと、今思うよ。十代の情けない自分嫌いなわたしには、あの時間が必要だったんだ。


 ありがとう、辻仁成さん。

 また会いましょう、本の中で。

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