語り尽くされてても語りたいこと:高橋優さん

 この世に容易い仕事はないと思うけど、仕事をする中での容易い日はあると思う。その真逆、容易くない日もある。容易くない日の印象が強すぎやしない!?って、ぼくは個人的に思うのだが、読者の皆様いかがでしょうか。

 たとえば…

 超想定外のハプニング、報連相の些細なミスが大問題に発展、理不尽な残業、退勤直前に依頼される報告書、愚痴ばかりの上司の話が長くて現場仕事が進まない、現場仕事が多すぎて事務作業をする時間が少なく提出書類を作成できないので上司に相談すると濁され苛立つ。

 仕事って、本当にいろいろあるよね。

 そんなまるで容易くはいない日を、ミュージックパワーで乗り切った話をします😊

 先に言っておくと、そのミュージックは高橋優さんの歌です。どうぞお楽しみに♡

 では、みなさん、まずは一緒に叫ぼう!そんな気分じゃないよって方は小さな声で囁いてみて。そんな気分じゃないよって方は、口パクでよろしくお願いします。

 せ〜のっ

 ミュ〜〜〜〜ジックパワー!!!


 ぼくの名前は、ひらおがひろな。30歳。おっちょこちょいのひょうきん者だが、仕事はまじめにやっている。

 話を戻そう、ぼくの仕事は、知的障害者入所施設での支援員。利用者の生活・作業を支援(支援という言葉は、上から目線みたいで嫌だ。実際、支援員の方が利用者と接する中で気付かされることが多い)してる。

 以下の話は約5年前の話。

 その日は1月5日で、ぼくにとって2019年初出勤で、16時からの夜勤だった。お正月を自宅で過ごした利用者たちがバスに乗って、18時半頃にたくさん施設に帰ってきた。みんな、お正月を自宅で過ごし、笑顔に溢れていた。

 
 親御さんが記入した連絡帳を確認したり、連絡袋内の提出書類を集めたりと、全員分の帰着処理をなんとか行い、利用者の歯磨き支援や就寝準備を終え、ぼくはスタッフルームのデスクで、溜まりに溜まった事務作業を始めた。今日は利用者の様子も落ち着いているし、事務作業に集中できそうだと思ったのも束の間、携帯していたPHS が鳴り、確認すると、ぼくの担当小舎の利用者Eさんからだった。
 電話にでると、利用者Eさんは「家に電話したいので、部屋に携帯もってきてください」と言った。もうその言葉をぼくは何百回と聞いていた。お決まりのセリフをE さんに告げた。「自分でスタッフルームに取りにきてくださいね」と言うと、「坂井さん(同じ小舎スタッフ)はいつももってきてくれますよ」と返答があった。この話の流れを何度も味わっていたので、「できたら自分で取りにきてください。時間はあるのでゆっくり来てくださいね」と言い、PHSを切って、事務作業に取り掛かり始めた(結局Eさんは携帯を取りに来ず、部屋に渡しに行った)。


 利用者の様子の記録を打ち込み、イベントの企画書にとりかかり、なかなか進まず。個別支援計画書類提出締め切りが迫っていることを思い出し、上司から依頼されていた仕事もありで、新年早々頭の中はパンクしそうだった。今回の夜勤で、ある程度事務作業を終わらせないと締め切りやらに間に合わない。今夜は仮眠なしでいこうと心に誓った。


 0時の夜間巡回の際、想定外ハプニングは起きた。Eさんの部屋に行くと、就寝せずにテレビでアニメを見ていた。とても楽しそうだった。就寝を促すもなかなか動く様子がなかった。そのとき、Eさんの右足がおかしなくらいパンパンに腫れていることに気付いた。即座にEさんに、そのことを聞くと、「お正月に家でこけたからかなぁ」と言うので、「 痛くないんですか!?」「そんなに痛くないよ」そんなわけがねぇぇぇぇやろっ!と心の中で叫び、夜間危機管理スタッフに報告し、見に来てもらい、足の指が骨折してる可能性あり!となり、救急車手配をすることになった。
 もはや、自分の抱えてる事務作業とか現場仕事とかの優先順位は下がった。まず、親御さんに連絡して事情を説明した。夜間危機管理スタッフが救急車を手配し、ぼくは医務室でEさんの病院関係の書類や必要な貴重品を集め、救急車に乗る準備を進めた。
 もうこれで、今回の夜勤に取り組みたかった事務作業はできない、仕方ないよな、仕方ないよな、夜勤明けで残業して取り組むか?それはしんどいわぁ、どこか別の日でうまく時間を捻出するしかないか、とかぐちゃぐちゃ考えてたら、頭の中である音楽の一部が流れた。

〝前へ 前へ 数cmずつでいいから

 耐えて 前へ ついさっき派手に

 転んだばっかで笑われてるし

 あっちこっち痛むけど 

 それくらいが上等だろ また立ち上がろう〟

 シンガーソングライター・高橋優さんの「虹」という曲だった。その頃、通勤時によく聞いていた。にしても、流れ出すタイミングが今ということにおどろき、そして気が引き締まった。そこからは、今できることに集中し、全うした。

 Eさんを救急車に案内し、ぼくも乗り込み、真夜中の病院へ向かった。診察すると、やはりEさんの右足指は折れていた。親御さんに連絡した際、自宅で転んでいたことは確認済みだった。そのときに折れたのなら、折れたまま施設に帰ってきたということになる。痛覚の面で感じにくい利用者もいるので、そのケースと考えられる。そんなときも、脳内のBGMは「虹」 だった。この曲で、今ぼくはぼくを保っているとさえ思った。ふと時計をみると深夜2時になるところだった。深夜虹!なんてことも思った。帰りは、施設から危機管理スタッフが公用車で迎えに来てくれた。一時あった眠気はなくなったが、体のダルさは常にあった。施設に着くと3時半頃で、事故報告書類の作成や小舎の引き継ぎ記入など、Eさんのけがに伴う書類作成に全精力を捧げた。

〝あの空より青く 太陽より眩しい

 たとえ泥にまみれても傷だらけで泣いてても

 また走り出す背中は美しい

 その手をかざせば夢に届きそうだ

 奇跡を待ちはしないよ 

 それを起こしにいくんだろう  

 こぼれた涙に日が差せば虹がかかるよ〟

 歌詞が旋律が体内を脈々と流れ、静かな心がやってきて、するべきタスクを1つずつこなしていった。書類作成が終わりを迎えた頃、窓の外を見ると、空は白み出し、太陽が顔を出し、朝がやってくるところだった。

 利用者の起床時間が来ると、着替え介助が必要な利用者の部屋に行ったり、介助が必要な方々の髭剃りをしたり、掃除をしたりと忙しなく動いた。いつのまにやら、早出スタッフが来てくれていて、2人で協力して、朝食の準備・提供を済ませ、利用者の歯磨きをして、各居室掃除をしていたら、利用者が日中作業に行く時間になり、送り出し、スタッフルームや廊下やトイレやを掃除をして、ゴミ出しをしていたら、退勤時間がやってきた。もう事務作業をする体力もなかった。退勤後、安全運転で帰路に就き、帰宅して、熱めのシャワーを浴びて、スーパーで買った豆腐ハンバーグ弁当を食べてルイボスティー飲んで、歯磨きして、ベッドに横になり、読みかけの文庫本を数ページ読んだら、寝ていた。

 2019年初出勤は、とんでもない日だった。読者のみなさん、こういう日ってあリますよね!?悲しいかな、定期的にありますよね…。
 乗り越えていくことで免疫はつきますが、毎回整理して取り組むのはなかなかエネルギー使いますよね。そんなときにミュージックパワーなのです♫

 あの日は、高橋優さんの曲の力で乗り切ったと言っても過言じゃない。ミュージックパワーはあると思うのです。人によってはミュージックじゃないと思う。人それぞれ、何か好きなことや愛するものをパワーにして、日々を生きているはずだから。

 あの日から、仕事中、意図的に頭の中に、高橋優さんの曲を流すようになった。理不尽なことがあったら、「明日への星」という曲を、利用者間のトラブルでうんざりしたときは「アイアンハート」 という曲を頭の中で流した。こっそり口づさんだ。お守りみたいだ。まるで冴えない日の帰り道は車内で「明日はきっといい日になる」や「リーマンズロック」 という曲たちを聞いた。


 2011年、ラジオから「 福笑い」 が聞こえて来たとき、はっきりと潔い声と歌詞の懐の深さに、ぼくの両耳はうきうきした。日本語が理解できてよかったとさえ思った。サビで歌われた詩は、素晴らしくやさしい主張だと思った。それから、ラジオで何度も、その曲は流れ、自然に耳に残った。


 社会人になって3年目頃、JR奈良駅を通りかかると、路上ライブをしているシンガーがいた。そのシンガーがギターを弾き、「福笑い」をカバーしていた。その時、久々にその歌を聞いた。やっぱりいい曲だった。曲間に、そのシンガーに話しかけると、高橋優さんのおすすめ曲や高橋優さんの音楽への姿勢の素晴らしさをたくさん話してくれた。「Mr.complex man」という高橋優さんの自伝本の話もしてくれた。別れ際に、「 少年であれ」という曲をカバーしてくれた。初めて聞いたが、むちゃくちゃ心に沁みた。

  
 ぼくはそのシンガーに教えてもらった情報をもとに、高橋優さんを時折聞くようになり、いつのまにやら、車通勤の際によく聞くようになっていた。社会や人間の暗部に迫る曲が意外と多いことにまた魅力を感じた。そういった曲にも光を感じることができた。不思議な感覚だった。あのシンガーが教えてくれ「Mr.complex man」という自伝も読んだ。もうすべてをさらけだしていた。生まれてから今に至るまでのことや、自身のだめなところもすべて。ここまでするのかと。これが高橋優なのか!高橋優というシンガーソングライターの器のでかさを知り、音楽への熱い想いに、ぼくは惚れた。仕事へのモチベーションにもなった。ぼくも無理なく、もっと真剣に仕事に取り組もうと思った。


 あの怒涛のお正月から数年後、ぼくは大阪フェスティバルホールで行なわれる高橋優さんのライブに足を運んでいた。遠く離れた席だったが、最高に楽しめた。一曲一曲噛み締めて聞いた。「 虹」 を生で聞いて泣いた。アンコールの最後に「 リーマンズロック」 を聞いてボロ泣きした。明日仕事がんばろと素直に思ったし、優さんからいただいたミュージックパワーに感謝したし、僕自身も誰かにパワーとまではいかんでも、大切な人の光になって照らしたいよ!と強く思った。

 そして、今ぼくは川沿いの石段に座り、高橋優さんの新曲「 キセキ」 を聞いている。

 ミュージックパワーはあると思う。今も誰かの心を突き動かしている。誰かの傷を癒している。誰かのはじめの一歩を後押ししてる。誰かの恋を彩っている。大切な人をおもいだす。悲しみに寄り添う。愛する気持ちが呼び覚まされる。

 これからどんな未来が訪れるか誰もわからないけれど、音楽と人は愛し合い続ける運命だって信じてる。


 


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