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「孤狼の血 LEVEL2」は「ゴッドファーザー」と「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」のリメイクだ!(暴論)

ググっても誰も言ってなさそうなので、筆者が持論を展開するしかないよねシリーズ。今回は、「孤狼の血 LEVEL2」とその元ネタであろう「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」に通底する民族問題について書いてみたよ。因みに「ゴッドファーザー」は当たり前すぎるのでちょこっとだけしか触れてないよ。


さて、白石和彌監督による2021年の映画「孤狼の血 LEVEL2」に描かれるのは、社会から破門された朝鮮系ヤクザの地獄だ。前作のピエール瀧こと「全日本祖国救済同盟」代表の家にさりげなく旭日旗が掲げられていたり、宇梶剛士が(一般的に「にほんご」としか読まない)日本語を「にっぽんご」と言ったり、愛国的で右翼的なヤクザたちが多く集まっているのが広島仁正会だ。

その組に、ある意味裏切られたのが鈴木亮平扮する朝鮮系の上林=ソンホである。少年期のソンホが両親を殺したシーンは、夕日と血で真っ赤に染まったバラック(原爆スラム)の部屋に七輪が煙を上げていて、背景に原爆ドームがそびえている。被爆、児童虐待、差別などを想起させる意味深でゾッとする映像だ。ソンホが相手の目を執拗に潰すのは、言うまでもなく虐待を受けた両親や、原爆スラムに住む在日朝鮮人への差別の眼差しへの復讐のためだろう。ソンホは、警察の犬たる村上虹郎に「残飯恵んでもらわにゃ生きていけんのじゃけえ。惨めなもんじゃ」と罵るが、彼自身もまた、かつて焼肉屋のおばちゃんにごはんを食べさせてもらって何とか生きのびてきた人間なのだ。

さらに後半では、村上虹郎扮するチンタが韓国籍であることが示される。この映画において、朝鮮系であることは、日本社会の底辺に釘付けられたことを意味するのではないか。彼らはあらかじめ社会から破門されていたが故に、暴力と怒りに任せて暴ざるを得ず、どんなにもがこうとも決して堅気にはなり得なかったのではないか。マフィア映画の大傑作「ゴッドファーザー」はアメリカにおけるイタリア系移民2世の次男が大学卒業後やむなく堅気を諦めるまでを丹念に描いていたが、日本映画である本作は、在日朝鮮人差別を行動から描いたヤクザ映画として彼らの心情に寄り添った物語になっている。



では、「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」とは、どのような映画なのか。舞台は大阪の鶴橋。冒頭、献血されようとしている梅宮辰夫が「おんどれらの血が貰えるけ。豚の血の方がマシじゃ!」と叫ぶと、小林旭が「安心せぇ。われとわしとは同じ血や!」と言い放ち、静かに見つめ合う。盃を交わしたヤクザは義兄弟になるが、この二人を兄弟たらしめたものは民族の血に他ならなかった。

「わいの親父は無理矢理日本に連れて来られて、炭鉱にぶち込まれて土竜のように殺されよった。その親父が死ぬ時何ちゅうたと思う。我慢や。我慢ちゅうのはごまかしや!ペテンや!わいはもう騙されへんど!」悲痛な叫びを上げる梅宮辰夫は、燃えたぎる怒りと暴力を原動力に日本中を突っ張りぬいていく。しかし、自分の「組」を持とうとした彼は、結局日本人の下で使われ、家畜のように殺されてしまう。組員を兵隊、抗争を戦争と呼ぶヤクザの世界にならえば、「組」とは国のことを指すだろう。「ゴッドファーザー」の言葉を借りれば、彼は「人を操る側の人間」にはなれなかったのだ。

そして物語は、「花木は即座に天誠会から破門された。だが、彼はもともと全てから破門されていたのだ」というナレーションで締め括られる。つまり、この映画は、二人の男の、日本における民族的マイノリティの差別との闘いを暗に物語っていたのだ。

したがって、「孤狼の血 LEVEL2」と「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」という時代の異なるふたつの東映ヤクザ映画は、在日朝鮮人の燃えたぎる怒りと暴力を、鶴田浩二や高倉健に討たれるだけの三国人としてではなく、社会派映画において民族問題や制作者の理念を提唱するための舞台装置としての在日朝鮮人でもなく、二人の男の、理念ではなく行動そのものとして描いてみせたのである。


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