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チンギス=ハンゆかりの地を訪ねてみた 後編

騎馬遊牧民が好きな歴史オタクが、チンギス=ハンについて調べているうちにいてもたってもいられなくなって、チンギス=ハンゆかりの地を聖地巡礼してきた旅行記の後編。


五日目 テムジン生誕の地を堪能する

ダダル

 朝4時起き。標高900m、外気温12℃。すごい晴れで空に雲一つなく、松の木の緑と幹の赤が映える。明け方はさすがに少し寒い。ずっと車に乗ってて腰が固まって痛いのでひたすら柔軟体操に励む。

 8時半前に朝食、例のサワークリーム(仮称)と肉の粥を食べ、9時頃出発。

 ツーリストキャンプからダダル中心へ行く途中にある泉ハジョー・ボラグに寄る。ホエルンがここで水を汲んで幼いテムジンに飲ませていた等々の言い伝えのある泉だ。ひんやりして澄んだ水が流れ出ている。

ハジョー・ボラグ

 10時には、テムジンの生まれたデリウン・ボルダグとされる丘にやってきた。入り口に乾燥させた薬草が売られている。高原には、薬効のある野草多いから興味津々だが、検疫の通過に自信がないのでぐっと我慢。丘を登って頂上へ行くと、碑があって団茶やら香(?)やらが供えられていた。以前は木を組んだオボーみたいになっていたという話だが、今はない。

テムジン生誕の地 デリウン・ボルダグであることを示す碑
デリウン・ボルダグ 頂上に上の碑があり周辺に観光客がいる

 ここがテムジンの生まれた所なら、ここから見える範囲は生活圏だろう。バルジ川が河川敷を埋め尽くすくらい増水しているのはアレだが、草が良い具合に生えて豊かそうじゃないの。視界には、さっきのハジョー・ボラグも入って来るから、当然あの泉の水も飲んだことだろう。うーん、飲んでみたい。飲んでみたいが、弾丸旅行で腹を壊すのはちとまずい。この辺で夏休みを一か月過ごす、というならテムジンが飲んだという伝説のある泉の水は飲んでたな。

バルジ川 一昨日までの雨で増水中

 遊歩道沿いに丘を一回りする。バルジ川はこの少し先でオノン川に合流する。すごい入道雲がわき上がっていて雷が聞こえてきた。気持ちの良い夏の日だ。

ところどころに生えているハマナスと思われる木 バラの中でもトゲトゲ度が高いヤツ

 『集史』に、チンギス=ハンは赤い実から作った精油かなんかを髭に擦り込む習慣があった、なんて話がある。ハマナスも赤い実だが、チンギスが使ってたのは何の実だろう?

 戻ってみると、なぜか車の後輪にだけ蠅やら虻やらがものすごくたかっている。刺す虫はいやだぁ。

 11時過ぎ、特にその場所に由来はないらしいが有名な白いチンギス=ハン像を見に行く。ストリートビューで見た時は、学校?いったい何の建物?と不思議に思っていた周辺の建物群は、みな廃墟になっていた。整然と並んだコテージみたいなのとカフェーみたいなのと集会場みたいなのと、池の側に残された廃ボート等々からすると、リゾート施設みたいなものだったんだろうか。

有名な白壁のチンギス=ハン像
周辺の建物は使われていない様子。廃墟好きが喜びそうな廃れっぷり
夏っぽい雲が出てきた

 12時頃、ダダル中心地で昼食。この町はこの辺の中心地であり、近くに国際空港も建設中だそうだが、「町」という規模ではないんだよなぁ。小規模な商店はちょこちょこあるが、飯屋的なものはいくつもないらしい。ガイドさんが調べてくれたその近所にあるテムジン関係の博物館や町の郊外にある猟師の博物館も閉まっていた。7~8月には開くのだろうか。

 そこで、草原の中の遺跡・ヤルガイト遺跡を連れて行ってくれた。匈奴の遺跡ということだ(N49.05482, E111.55414)。おお。私の好きそうなものがわかるなんて、なんて優秀なガイドさんなんだ。こういうのをゆっくりじっくり巡る旅行もしたいと思っていた。あと、石人とか、ヒルギスール(ストーンサークルみたいなヤツ)とか、鹿石とかetc. モンゴルは、古代史ヲタクの聖地みたいなところなんだよねぇ。

ヤルガイト遺跡
板石墓。配置には意味があるかも知れない。こういう時こそドローンで上から見たい。
ヤルガイト遺跡
参道みたいな道ができているが、これはウシが作った獣道。

 その後、15時頃、バルジ川の流れを見下ろす地点に行く。アウラガやブールルジュートに比べると、小ぶりな感じはするものの、水と草の豊かな暮らしやすそうなところだと思った。まぁ、それは、たまたま自分がでくわした天候の印象も大きそうだが。

バルジ川

 帰途ホエルンの泉ハジョー・ボラグに寄ると、民族衣装を着た地元ブリヤートの人がたくさん集まってきた。何かの祭りだろうか。

 16時前にツーリストキャンプに戻って休んでいると、カナダ人(?)のバイク集団がやってきた。サポート車みたいなトラックも一緒に来てるからそういうツアーかもしれない。メンバーの誰かの誕生日らしく大盛り上がり。楽しそうで何より。今日は、キャンプファイヤーをやるとのことで、それまで夕食をとって休む。

 実は、ここはキャンプファイヤーで有名らしい。でも、ゲル数は四しかないから小規模だと思う。自分でテント張って泊まってもいいのかも。ゲル等全くない形式のキャンプ場も道すがら見かけた。

 23時20分からのキャンプファイヤーは子供やらずいぶん客が集まってにぎわっていた。

若干危険なかほりのするキャンプファイヤー

 キャンプファイヤーやら照明やらでそこそこ明るかったにもかかわらず、人工衛星らしい軌跡もはっきり見えるほど星空がきれいだった。以前の旅行で、町から遠く周囲に明かりが全くないところでキャンプした時は、宇宙空間にいるかのように星が近く見えたものだった。そういうところで思う存分星空撮影をしたら楽しそうだ。

六日目 500kmをひたすら移動

ダダル→ウランバートル

 昨夜キャンプファイヤーを撮りに行った後、またしても(笑)レンズフードキャップがなくなっていたので、朝になってから昨夜通った所をたどってみた。鍵と一緒にポケットに入れていて、鍵を取り出したときには、確かに指先で触った感触があったのにおかしいなぁ。

バイク集団も朝はぐっすりのもよう

 朝露が降りた草の中に落ちていているのを見つけたのはよかったが、昨夜のたき火跡に向かう途中で、白くて耳が薄茶の犬とチベタンマスチフみたいなカラーリングの犬が寄ってきて、尻のにおいをかぎ出した。あっち行けと頭をはたいたら、なでられたと思ったのか、尻尾をぶんぶん振ってじゃれついてきた。いや、遊んでやろうとしてないってば。フレンドリーなのは良いけれど、おまいらが甘噛みしただけでも手に穴が開くからヤメロ。

 今日はかなり長い行程、しかもあの悪路なので、朝早く出発する。腰痛防止の柔軟体操をしていると、管理人のチンギスさんがもにょもにょした形のアーロールをくれた。後で食べたら、何かベリーのような味がして美味かった。

 朝食は、例のサワークリーム(仮称)とパンの他にソーセージと卵。チンギスさんには、一本満足をお返しした。

 7時半に出発。一時間くらい走って、オノン川で写真を撮る。ここも増水している。

ここが有名なオノン(オナン)川か 水没している木のあたりは本来川原だったはず

 川の両岸は主に柳が密生していて、よく見ると毛虫だらけ。日本の桜の木の毛虫に似ているような気がする。蛾になるのか蝶になるのか。

人によっては閲覧注意だな、こりゃ

 がたがた道を通り、建設途中の道を通り、来たのと同じ道をたどって、昼頃ウンドゥル……じゃないチンギスハーンに到着。ダンスホールかと思われる程豪勢なレストランで昼食。量的に手頃そうなサラダにしてみたが、サラダというわりには、肉八割であった。玄米茶とともに。こういうの(だけ)でいいんだよ。これが前菜って、モンゴル人は一食でどれだけ食うんだ。

 16時半頃、ヘルレン川を渡る。ものすごい濁流。行く先々の川が全部こんな調子だ。やはり先日の雨はすごかったんだなぁ。良い体験をした。

ここが有名なヘルレン(ケルレン)川か 
Exifがトキナー SZX400mmF8 Reflex MF になっているが絶対ウソ
波立つヘルレン川

 この辺、既に舗装道路だからズンズン進む……と思いきや、ウランバートルに近づくにつれて車の量が多くなり、ついには渋滞に捕まる。ウランバートルを流れるトール川の増水もすさまじく、川沿いの道から30cmもないくらいに川面が迫っていて、もう少し水流で削られたら道路が陥没するんじゃないかってくらいだった。実際、河川敷の児童公園や駐車場が水没している。でも、そんな見るからに危険な道ばたに、屋台か移動販売車みたいなのがずらっと並んでいて、のんきに何か焼いて食べてる。えぇ……。

 外気温は17℃で、結構あったかい。ただ、もう夏のはずだが、昨日ウランバートルでは雪が降ったとか。寒暖の差がすごい。

 ウランバートルの渋滞は本当に酷く、20時過ぎにようやくホテルに到着した。

七日目 トオリルとテムジンの愛憎劇の舞台へ

ウランバートル→ブフク土城→ウランバートル

 昨夜は、撮った写真をチェックしているうちに寝落ちしてしまい、朝起きたらバッテリーが上がっていた。予備バッテリー持って行ってよかった。事前に心配されていた充電については、どこでも、ホテルばかりでなくツーリストキャンプでも充電できて、まったく問題なかった。まぁ、バッテリー消費の激しそうな星空の撮影とか高速連写とか動画撮影とかなら逼迫しそうだけれど、普通に写真撮る程度なら問題なさそうだ。今のモンゴルのスマホの使用状況からすれば、どこでも充電できるように、そしてどこでもwi-fiにつながるようになっていて当然なんだろう。

 朝6時半に朝食と済ませ、ボグド・ハーン博物館の方へ歩く。

 ここ、昔来たときは、結構ウランバートル中心地から歩いた町外れの草原の真ん中にあったような気がするんだが、昨日ダダルからの帰途に見かけたとき、全くの町中になっていて唖然としたので、ウランバートル市街の拡張ぶりを見に行ったのだ。トール川を渡っていく道筋は同じだから、配置は変わっていない。20年も経てばそりゃあ変化するだろうけど、川向こうまでタワーマンションのような背の高いビルが建ち並んでいる。

20年くらい前のボグド・ハーン博物館周辺
現在(2024年)のボグド・ハーン博物館(真ん中の緑の屋根)周辺
山の形からして同じような位置から撮っていると思われる

 9時にホテルに戻ると出発時間である。ガイドさんと運転手さんが迎えに来た。

 一番の渋滞時間を避けたはずだが、まだ混んでる。ウランバートル、混みすぎ。ブフク土城はウランバートル市の域内だから近いはずなのに、1時間近くかかった。

 ブフク土城は、もとはケレイトのオン=ハンの根拠地であったカラトンだと考えられている。テムジンがオン=ハンを滅ぼした後は、ここも彼のオルドの一つになった。テムジン青年期にオン=ハンが、助けたり助けられたりして父子のように仲良くしているように見せかけて、裏で腹黒いことを考えていたのがここなのか。カッコーがカッコーカッコーと鳴き、バッタがギチギチ鳴きながら跳び、遺跡一帯で牛が草を食んでいる明るいのどかな風景からは、そういうドロドロした愛憎劇は想像しにくいな。

ブフク土城
ブフク土城

 説明版が設置されて、チンギス・ハーン生誕850年記念碑も残っているし、トイレもあるようなので、観光地化を試みた痕跡はある。発掘調査をして埋め戻したのか?と思われる跡もある。しかし、城壁の盛り上がりがなんとかわかる程度のただの草原である。カラトンは漢文史料にも登場する有名な場所のはずなのだが、観光客などはいない。そのままの遺跡がぽんとあるのが、モンゴルの遺跡の良い所ではあるんだけれど。ウチの近所(東京湾岸)の貝塚や古墳なんて、どんなに歴史的に貴重な遺物が出てても、宅地造成やら鉄道敷設やらで消滅しちゃってるからねぇ、そのまま残っている姿には感動するし、そのままで残っていて欲しいと思うのだ。

 ブフク土城のすぐ横にトール川があるので、そこに写真を撮りに行く。やはりかなり増水している。

ここが有名なト-ル(トラ)川か 前見た時と印象が違いすぎるぞい

 道路清掃車が火事かと思われる程の土煙を巻き上げて道路を清掃していく。昨日くらいに大雨が降り、一時雪にもなったくらいの悪天候で道路が泥だらけになったのが乾いて埃が立っているのか、ウランバートル市街の方向も土色にかすんでいる。

トール川 ウランバートル方面がかすんでいる

 真っ昼間にもかかわらず帰りも渋滞。おおい、みんなー、オフィスで仕事してるんじゃないのかー。印象では9割方トヨタ車。

 いったんホテルに帰り、明日は早いのでモーニングコールをお願いしてもらって一本満足を食べてから外出。スフバートル広場でチンギス=ハン像を撮る。チンギスの向かって左側は(ロシアをやっつけた)オゴデイで、右側は(中国を支配した)フビライなんだそうな。

社会主義革命の英雄スフバートル
チンギス像 騎馬はボオルチュとムカリだそうな
チンギス像には近づけない。近づいても撮りづらいが
オゴデイ 有名な肖像画の顔のまんまだぁ
フビライ 偉い人は自分で字書かんだろ、とツッコミを入れてしまった(読んでるだけかも)

 16時、ホテルにコラム「もっと!天幕のジャードゥーガル」筆者の谷川春菜さんが迎えに来てくれた。以前、コミックマーケットで我々のスペース「群雄」の宣伝用に配布した「グユク=ハン紀」を谷川さんにも送った縁でお会いすることになった。

 谷川さんに本屋に連れて行ってもらい、自分へのおみやげにロードマップをあるだけの種類(14冊)買った。今回の旅行を考えた時、Google MAPでは目的地やルートがさっぱりわからなかったので、これが切実に欲しかった。あとGoogle MAPは距離感がバグる。日本部分の地図見て、この距離なら歩いて行けると思った距離感と、モンゴル部分の地図見て、これ近そうと思った距離感が違い過ぎる。自由に縮尺変えられるGoogle MAPの罠だわな。

 その後、谷川さんおすすめのツォイワンを食べに行く。さすが首都だけあって、しゅっとしている。あまりにも美味しそうだったので、食べることに夢中になり、写真を撮ることを忘れた。ここで飲んだスーテイツァイは、バターが入っているのかスープのような濃厚な味だった。旅行中に飲んだスーテイツァイは、日本の砂糖なしミルクティーとあまり変わらない、ほとんど塩味もしないサッパリしたものだったのだが。

これがかの有名なツォイワンだ! 写真:谷川春菜さん提供

 そういえば、移動中ガイドさんに、日本のバンドの「モンゴルツォイワン美味しいですか~♪」っていう愉快な歌聞かせてもらったっけなー。これ、検索したら YouTubeにあった。→CHAKA LAND

 帰りにマルコ・ポーロ像と、ホーショールの形をした(?)ウランバートル中心で最も目立つ建物ブルースカイの写真を撮り、ホテルまで送ってもらって帰る。それにしても専門家の話は、本当に刺激を受けるなぁ。自分もできることをやってモンゴルを盛り上げないと!という気になる。いま、ヲタクがやるべき事というと……夏コミ原稿?!

京都だったら景観条例に引っかかりそうなホーショール型建物
参考:ホーショール。うまい。

 とにかく、明日は4時出と早い。起きたらすぐ出られるようにとパッキングをしているうちに24時近くなってしまったので、とにかく寝る。

八日目 終章 帰国

ウランバートル→成田

 成田便は7時発。搭乗手続きのためには2時間前に行かなければならないということは、相当早くホテルを出なければならないと戦々恐々としていたのだが、4時出で良いという。なので、モーニングコールは3時にしてもらった。30分あれば準備できるかな、と思っていたができず、1時間とってもらっていてヨカッタヨカッタ。

 さすがにこれだけ早朝だと、道はすいていて、なんと40分程度でチンギス・ハーン空港に到着した。昨夜あんなにせっせとパッキングしたのに、カメラのバッテリーを預け荷物に入れていた。慌ててるんだな。そして、ガイドさんと運転手さんに手を振って出国審査へ。

 免税店はたくさんあり、眠そうにしている売り子の人もいたが大盛況で、余ったトゥグルクも無事全部使えた。モンゴルでは既に日本よりデジタル化が進んでいるのか、今回行った地方ではどこでもカードが使えるようだった。むしろ、現金よりカード推奨なくらい。たびたびの両替は、為替レートに左右されたり手数料取られたりと面倒くさいけれども、こういう余った外貨を免税店で使い切るのも、楽しみの一つではあった。今後はこういうのもなくなっていくんだろう。実際、日本でも市中の銀行の外貨取り扱いはなくなりつつあることを、今回の旅行準備で実感した。10年経つと、海外旅行事情もすっかり変わっていた。

機種は行きと同じBOEING 737-800/MAX8 カブル・ハーン号

 外は雨で、搭乗・出発は少々遅れる。

チンギス・ハーン国際空港は雨

 機内誌で恐竜の記事を読んでいるうちに眠くなり、うとうとしている間に「成田空港まで○○分」の機内アナウンスあり。下を見ると、地形で大洗だったり銚子だったり、佐原の狸島だったりと、利根川をさかのぼって成田空港に近づいていく様子がわかった。

 12時50分着。降りてから結構な距離を歩いたせいか、荷物はすぐ出てきた。地図のせいで超重いのでカートに乗せて歩いていたら、ビーグルらしい小さい犬に嗅がれる。肉とか持ってないから問題なし。モンゴル軍が行軍中持って行った携帯食料ボルツとか土産にしたかったが、たぶんダメだよね、あれ。ジャーキーだもの。

 モンゴルに行っている間に梅雨入りしたらしく、じめじめして不快指数MAX。そして更に円安が進んでいる。モンゴルにはまた行きたいが、先立つものがなぁ。せめてもっと円高になってくれ。

おしまい

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