かぐや姫はなぜ(旧暦)8月15日に月へ帰るのか(2/2)ー 「教育原則」を踏まえた教材研究(国語)
2 数(かず)遊び (1/2)からの続き
⑶ かぐや姫の「三」
物語中盤では「五」人の貴公子の失敗談をはじめとして「五」が主な数でした。(前回に追加:くらもちの皇子は、鍛冶の匠たちと一緒に「五」穀を断って、偽物作りに励みます。)
これに対して、序盤〔1 かぐや姫の誕生と成長〕では、かぐや姫の「三」が主たる数となっています。
翁が根元の光る竹の筒の中を見ると、「「三」寸ばかりなる人」が、とてもかわいらしい姿でそこにいます。
この児(ちご)は「「三」月(みつき)ばかり」で大人になります。
名前をなよ竹のかぐや姫とつけ、「「三」日」間、お祝いをします。
名前をつけたのは、御室(「三」室・みむろ)戸の斎部(いむべ)です。(御室戸とは、「三」輪山のあたり。宇治説もあります。)など。
「三」は、物語全体に及びます。
石作りの皇子は「「三」年ばかりして…」姫の望みの品(の偽物)を持参します。
くらもちの皇子は、望みの品を探しに出かけるふりをして、「「三」日ばかりして」、こっそり帰ってきます。竈(かまど)を「三」重(みへ)に囲って、家にこもって偽物をつくります。(「千日余り」=約「三」年。)
かぐや姫は、帝と文を交わすようになってから「「三」年(みとせ)」ほどたって、春先から、月を見ては、物思いにふけるようになります、など。
⑷ 「三」の意味
「三」は、天上の数で、かぐや姫が「天(月)から来たこと」を表しているとされます。しかし、この「三」も、「五」と同様、物語全体の中におくことではじめてその意味がはっきりします。
⑸ かぐや姫が月へ帰るのは、旧暦八月十五日
序盤のかぐや姫の「三」、中盤の「五」人の貴公子たち、そして終盤、かぐや姫が月へ帰るのは…。
「三五夜(さんごや)」という言葉があります。
「十五夜」のことです。
九九による暗示的表現は、日本語の得意とするところです。
二八そば:十六文の(安価な)そば(そば粉とつなぎ粉の配合割合説もあります。)
四六時中:二十四時間(一日)中(十二支(子の刻、丑の刻、…)の場合は、二六時中と言います。)
陰暦では、一月が春のはじまりです。(年賀状や季語に名残があります。)
秋は七月、八月、九月です。
秋の真ん中が八月です。(「中秋」は陰暦八月十五日、「仲秋」は陰暦八月。)
「八」も、「三」と「五」から簡単に導き出せます。
『竹取物語』を「数」によって読むと、「三」という天上の数をもつ姫が月(天)から下りてきて、地上で「五」人と交流をし、「八」月「十五」日の夜に、月(天)へ帰っていく物語、と読み解けるのではないでしょうか。
むしろ、「八」月「十五」日の夜に月へ帰っていけるように、「数」が巧みに配置されているとも言えるでしょう。
筆者は最近YouTubeで「小梅小町」さんの『竹取物語』の解説動画(前編・後編)を視聴しました。この稿での内容とは違う数の見立て(「三」を天上の数とするところなどは同じ)、『古事記』とのつながり、言葉に隠された暗号など、興味深い内容がたくさんありました。
なかでも、後編の最後で、『竹取物語』の作者を空海と嵯峨天皇の二人ではないかとしています。そのように、『竹取物語』を当時の最高の知識人の合作だとするなら、「三」と「五」によって「八」と「十五」を生じさせるという遊び心にあふれる組み立てもより信憑性を増すものとなるでしょう。
さて、「予告」で論じたように、以上の「教材研究」は一義的には、教師の内なる活動としてあるものです。ここで述べた内容を授業に直接反映させる必要はまったくありません。
それでも、教師がこの内容を、ふさわしいと思えるときに無理のない形で表すことを禁じるつもりはありません。子どもたちの様子をよく見ながら、「かぐや姫にまつわる数は三が多いよね。五人の貴公子とのやりとりがあって、月へ帰るのが八月十五日って何か不思議だね。」ぐらいにふれることは許されるでしょう。あくまでも、教師の「アイデンティフィケーションをかけた教材研究」における葛藤や格闘があってこそですが…。
そして、この葛藤や格闘によって得たものは、教師にとっても、「引き出しが一つ増えた」以上の力を与えてくれると筆者は確信しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は『平家物語』を「色」によって読み解いていきます。