2024!マシになりたい2025にむけて
アルバイト納めて地元に帰ってきた。最近は「帰省」、といいながら普段の居住地に戻ることも「帰る」と言っていておかしな感じがする。帰るところがたくさんあり楽しいね。
2023年夏の終わりから始めたアルバイトも、しっかり2年目に突入している。自分の出勤日数の少なさは仕方がないとして、そこと関係ないものの差が情けないな、と思うときがある。例えばアルバイトの先輩たちはとっても愛嬌があって要領が良かったりとか。私の性格がそこまでよくなくとも話してくれる方たちもいて、とっても救われている。なるべく笑顔でいようとしたり仕事を断らなかったりして適応しようとしている。ばれている気がするしボロも出たりする。そこをどうやって取り繕わない私がカバーできるかが問題。とりあえず基本は楽しくさせてもらっている。私はルーティン業務が多いんだけどしっかり1つづつこなしながら自信もつけていこう〜。働く大人のそばにいる、しかも憧れで好きな業界、というのはすごく貴重な気もする。みなさんすごいんだぜ。自慢したいです。2024、ありがとうございました!
あ、そういえば下書きを書いている今(12月26日22:00)お酒を飲んでいてすこしネガティブが来ています。で、手直しをしている翌朝(12月27日9:22)、昨日の暗さをすこし笑っています。
21になって今年もたくさんはじめて、があり、とっても素敵じゃんと思います。この調子で10年後も20年後も、達観せずに知らないことを見つけながら生きていきたいなと思います、慢心するなよ…🏃♀️➡️
自分にもとから備わっているものや形成されたり壊れたりする感情や価値観について言葉にしようとすることがとても追求しがいがあるということを知りました。対話会で内側を話そうとしたり、書こうと試みたりして実感したことです。また、そこで私と離れた感覚を持っている人の話を聞いて、全然違う人間だなと心の片隅で落胆して面白いな、愛らしいなと思ったり。
また、私が社会に生きていることを、自分ごととして実感したのも今年でした。自分の発する言葉、する選択が少なからず自分の外側に影響を与えていて、私にはそれをコントロールすることはできないにしても、言葉や行動を悩んで決めたり変えたりできることに、希望も無力さも感じました。考え始めた頃から、私はボイコット対象のお店に行っていません。生まれた場所がたまたま日本で、この家だったことで爆弾や人の死と少し離れて生きている。遠くでも同じ時を生きている人たちが死にさらされているこの状況が早く終わって欲しいと思います。でもそういった飲食店はいつも賑わっています。おいしいよね。私の行動一つがなんだ、ということではありますが、他ならぬ私、が言うこと、やらないことが近い人の心に何かを生んだりするんだ、ということを身を持って感じるし信じています。やらない、じゃなくて違う選択をする、という人の言葉がしっくりきます。他人に強要はできないししたくないし仲悪くなりたくないしこの面だけで判断できないし、ということは常に思っています。良くも悪くも1人の人間だもんね。自分で納得しながら選択していこう。虐殺も、環境も、選挙も、他にも。こういったことでまだ知らないことってたくさんあるから、疲れても細くてもインプットはやめないでいたい。知らず知らずのうちに人を傷つけたくない。
いつもうっすら幸せになりたいな〜満たされたいな〜、と思っている。幸せだということは振り幅が派手でない場合あまりその時点で気が付かないものだとなんども思っているのに、また今日も幸せになりたいなと思う。きっと簡単にこの癖は治らないし幸せになりたい、と思うから試行錯誤をするし現状に満足しないとか、悪いところばかりじゃない。昨日前書いていた日記を見ていたら自分に繰り返し大丈夫!と言い聞かせるように書いており、不安だったんだな、と他人のように抱きしめたくなりました。
書くことが上手くなりたい、と思っている。きっかけは2024年出会えて良かったランキン堂々1位の柴田聡子さん。柴田聡子さんの音楽にはいろんな音があって少し心を軽くしてくれます。普段気が付かない歌詞がふと入ってきたとき、なんてことだ…と唖然とします。
柴田さんは文章を書くこともされていて、ライブ物販で買った「きれぎれのダイアリー」もとっても素敵でした。詩集も楽しみ…!丁寧な文章の奥に祈りや謙虚さを感じて、こんな感じの文章を書きたい!とスイッチが入ってた。たまたまそのタイミングでZINEを作ろうという動きがあって便乗させてもらったんですが、人に読まれるのがくすぐったかった。いままでもnoteで文章を世の中に垂れ流していたはずなのに、紙媒体になるのは緊張して違う行為のように感じました。
ただ、文章の上達って全然進まない、何事もそうなんだけど、焦る焦る。日記を始めました。でも自分の文章はなぜか好きで困ってる。なんだこのヘンテコジレンマは。
でも、ひとつ仮説があって、文章をうまく書く、にはその時点で一定の上限がある。自分の気持ちをいかに言葉にするか、表現し切ったと思ったあと。それを書く人間に変化がなければ、新しい知識、感情を覚えて自覚しなければ書けなくない?と思うわけです…。これはまだ未熟な私の書いた文章を守るためのいいわけでもありますからね。
どうでしょう。私はまだまだ薄く伸び代のある人間であるから、文章もそうじゃないでしょうか。だから生きてインプットアウトプットをなんとなく、意識的に繰り返すことが大事。素敵な文章を書く人が好きです!世の中にはたくさんいて嬉しい!その方がた、物書きをやめないでください。私もあがきます!でも文章が下手だからってしょうもない人間だってわけでもなく、それも素敵だなって思います。今、自己肯定感◎( ◠‿◠ )
というわけで、2024ありがとうございます!このnote、誰が読んでくださっているんだ!と単純に興味があるので今回限りはスキ押してくれたら喜びます☺️こんなまだまだな私だけど2024でだいぶマシになったんじゃないか?!でもまだマシになるように、2025年もよろしくお願いします!だいたい皆大好きです!生き延びてあなたに会いたいです~!