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フランスにおけるパティシエの歴史①、料理人との格差


はじめに



妊娠、出産、育児に専念し、7年近く研究から遠ざかっていた。
博論を書くにあたっては、先ず自分の研究を思い出すところから始めなくてはならない、というレベルだ。

私の研究の主体は、『食通年鑑』『美食年鑑』と言われる、ミシュランガイドブックの原型になった、飲食店の評価書の分析を中心とした、19世紀初頭のパリの飲食店発展史なのだが、この内容への言及はなかなか骨が折れる。

自分の専門の研究に対しては、発言にかなりの責任が付随するため、「ちょっと思い出した内容を書いてみた。」みたいな手抜きをすると、
後で盛大な突っ込みをいただくことになるからだ。

そこで今回は、脳のリハビリがてら、共同研究で考察した、フランスのパティシエの歴史に関して、紹介してみようと思う。


歴史学の中の「食」



そもそも歴史学分野の「食」に関する研究では、、美食文化の考察が最も進んでいる。
それは、美食は富裕層のたしなみであって、歴史を動かす、政治家やそれに準ずる立場の人間が多く関わっているためだ。

過去にさかのぼるほど、本を出版するということへのハードルは高く、おのずと高い地位の人間が執筆することになる。
そのため、史料にもとづいて研究を進めると、どうしても美食文化が中心になる。

しかし、そんな中でも近年は、現場で働く料理人へスポットライトが当たるようになってきた。
食べるほうでなく、作るほうへ、歴史の分析が進んできたのだ。

もともと、パティシエを目指していた自分としては、作り手のほうに興味があるので、この傾向は喜ばしいことである。

しかし作り手と一言にいっても、料理人と菓子職人でさらに格差があるのだ。

キッチンで作業できないパティシエ


菓子の研究が料理の研究に比して遅れがちなことの要因の一つとしてはパティシエの地位の低さが考えられるだろう。
邸宅で個人雇用した料理人が主人のために腕をふるった18世紀末までのフランスにおいて、デザートは厨房cuisineで調理されるものではなかったと言われている。

デザートはコーヒー等の嗜好品を管理していた「配膳室office」という別室に追いやられ、一流の料理人はパティシエとともに働くことはなかったのである。


すなわち菓子は食文化の中心にいた料理よりも下位に位置づけられていたわのだ。
 
 今日でも、料理>菓子という姿勢の名残をレストランの中で見ることができる。同一のレストランに雇用される場合パティシエは料理人より給料が高いことはまずなく、有名三ツ星レストランのコースサービスにおいても料理部分が給仕し終えるとコックの多くが打ち上げ気分で騒ぎだし、デザート仕上げ中のパティシエたちと対立する現状があるほどである。 


菓子書を分析していく中で

しかしながらフランスにおける料理書と、菓子書の出版を振り返ってみると、一概に、当時の料理人とパティシエが隔絶されていたとは言い難い事実が見えてくる。

というのも、当時の菓子書の多くが、当時の有名料理人の手によって執筆されているからだ。
ヴァレンヌVarenneやムノンMenonなどこれまでは、料理人としてのみ認知されていた人物は、単独で菓子の本を出版するほどに、菓子にも精通していた。

そのため、これまで言われていたように、菓子職人は調理場から排除されており、料理人が菓子にまったく手をつけていないとは考えづらい状況が浮上してきた。


おわりに、史料分析の面白さ

どんな本が、どの時代に、誰によってどう書かれてきたか…
「そんな外枠のことはどうでもいいから、本の中身について語ってほしい!」
そんな人も多いのではないだろうか?

しかし、本がどんな立場の人間に書かれていたのか、ということそのものにも意味があることが、今回の文章を通して、伝わればうれしい。

今回触れた菓子書の中身に関しては、
また次回触れていこうと思うが、
今回はこの辺で…。


 

 


参考文献

太原孝英、白川理恵、大畑夏子、市原ひかり、「菓子書にまつわる先行研究の課題点および目白大学所蔵稀覯本について」(大畑執筆タイトル)、「目白大学図書館所蔵フランス菓子製法に関する稀覯本について(1)」(論文全体タイトル)、『目白大学人文学研究』、目白大学、10号、pp.137-140、2014年3月

写真引用:La Varenne, Le pastissier françois 1655(pastissierのつづりは、原本の表現をそのまま採用した。)


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