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イヤな記憶はnoteにする

携帯電話の普及にともない、人間の記憶力は低下したと言われたりする。
2007年7月、その関係性を示したイギリスでの調査が新聞報道されている。

たしかに固定電話の時代であれば、10や20の必要な電話番号を記憶するのが苦手な僕でさえ、普通に暗記していた。
若かったからという事もあるだろうが、人は必要に迫られれば、何とかする生き物なのだ。

携帯電話の普及(ここでは数字の記憶)と何らかの相関はあるかもしれないが、それをそく記憶力低下の原因とするのは、早計かもしれない。
重要なのは、多くの機器が人間の認知的負荷を低減するように作られているという事実だ。

たとえば、普段ふだん僕たちが使っている手帳も、忙しい予定を人に代わって「記憶」するためのものだ。頭の中に覚え込まなくても、手帳を見れば正確に予定がわかる。
一般の人々が手帳を常用するようになったのは、それほど昔の話ではない。普及が進んだここ百年ほどの間に、手帳を使うことで人間の記憶力は悪くなっただろうか。断言まではできないが、どうもそうではなさそうだ。
携帯電話と記憶力の関係も同様であり、覚える必要がなくなれば覚えない、それだけの事かもしれない。

「物忘れ」とは自然に忘れてしまうことだが、一方で嫌なことは早く忘れてしまいたい。物忘れの背景には、干渉や抑制といったメカニズムが考えられる。
たとえば職場で嫌なことがあると、仕事に行くたびそのことを思い出して憂鬱ゆううつになる。その際、「職場」という情報に接しても、嫌なことが意識に上らないようにできるかどうかの研究がある。
このような意図的忘却ぼうきゃくが可能かどうか不明だが、訓練を積めば忘れることができる可能性はある。

嫌なことを忘れるためには、「覚える」メソッドの逆を用いることだ。
覚えることと同じように、徐々に、ゆっくりではあっても「意図的に忘れる」スキルを身に着ければ、ストレスに対する“耐性”がつちかわれるはずだ。

嫌な思い出や経験が長く残ってしまうのは、ついつい思い出してしまったり、自分の中で「反復」してしまったりするからだ。

何かを覚えようとするなら、繰り返し反復することは重要だ。
同じように僕たちは、忘れたいはずの「あの時」を「悔しくて」「悲しいから」と、繰り返し思い出してしまう。
そのたびに嫌な感情がよみがえり、ストレスが生まれる。すると脳は「この思い出は重要なんだ」と、長期記憶として定着させてしまう。悪循環あくじゅんかんだ。

このメソッドを逆手さかてにとって、忘れたいことは「ノートなどに書き出し、それ以上触れない」という自分のルールを作ってみる。
書き出す際は「あの時、これがつらかった」「自分はこうおもった」と自分の感じた内容を中心に据え、一度書いたものは同じページに書かないようにする。

嫌な過去が頭に浮かんだ時、「あれはもう、ノートに書いてしまって済んだこと」だと考え直し、ほかに集中できることを始めるか、休憩をはさむなどしてそこから気をらすのだ。

ノートに書きだすことで、自分の体験を「他人目線」でとらえることができるようになる。
するとうっかり思い出してしまった時でも、感じるストレスは少なくなっているはずだ。

気をらすことが習慣化されれば、ぱっと頭に浮かんだ刹那せつなとどめられるようになり、たとえ短期記憶として浮かんでも、すぐに忘れることができるようになっていく。

たいがいの些事さじなら繰り返さないようにトレーニングが出来ても、ショッキングな出来事となると、どうしても記憶に残ってしまう。
その経験が予想しないタイミングで起こった・初めての体験だった・突然に起こった・驚きや悲しみ、怒りを感じるものであったならば、心の動揺も相当なものになる。

その場合、強いショックがともなうため、(自分で無意識に反復して記憶してしまうものと違い)たった一度の経験で記憶が定着してしまうことがある。
関連した人や場所、その出来事を連想させるものに反応して、記憶が突然浮かんできたりもする。

「通勤途中で事故にい、間一髪かんいっぱつで命が助かった」「周到に準備したはずのプレゼンで酷評された」などはかなり強いイメージをともない、記憶に残りがちになる。
それがもとで、「通勤に使う道を通るたびドキドキする」「プレゼンの参加者に会うと体調を崩す」と日常の行動が制限されたり、思いもかけない瞬間にストレスを受けてしまったりする。

記憶に残りやすいショックをやわらげられると、記憶の定着率や思い出した時のストレスが軽減できる。

そのためには感じたことや、何が起こったかを信頼できる人に聴いてもらうことだ。出来事を自分の外側に吐き出し、冷静になることが可能になるからだ。加えて誰かに話を聞いてもらうこと自体が、大きな慰めにもなる。

その出来事を「書き出す」「物語や報告書にしてみる」ことも効果的だ。
インターネットなどで同じような体験をした人の記述や感想を、調べてみるのもいい。
「みんなが経験していることだ」「自分がそう感じただけではないんだ」と思えることは、自分の感情を肯定することに繋がり安心感を得られる。

他愛ない失敗や笑い話になるような経験ほど、「忘れる」力は強く働く。ならばショッキングな出来事であっても、可能な限りみずからの意識を、そちらの方向へと向かわせるべきだろう。
「感情はしっかりる、しかしそれにとらわれない」「過去の出来事はシンプルに、思い出してもすぐ忘れる」ように心がけるのだ。

職場の人事や評定ひょうていでは、「忘れっぽさ」はそのままマイナスポイントとされがちだ。
ところが見方ひとつ変えれば、それはポジティブシンキングに通じる大事な才能になり得る。
プロセスが確立するまで時間がかかるかもしれないが、「忘れられる」能力は現代いまを生きる僕たちにとって、必須の要件になるかも知れない。

Atelier hanami@はなのす

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