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神道工作

昨日の歴史講座、ウチの代表がんばってた。
第1回目は弥生から始まり、古墳時代の話が主になる。
地元から発掘された遺跡を元に、古事記や日本書紀に残された手がかりに自身の憶測も加えながら、おらが村の歴史的役割を紐解ひもといていった。
地名一つ、その時々で呼び名や漢字が違ったりするし、その漢字も今は使用されない難しい旧字だから、覚えるだけで一苦労だったろう。

講師を務める代表は、日本に仏教が伝来した話に触れ、552年とする『日本書紀』、538年とする『元興寺縁起がんごうじえんぎ』『上宮聖徳法王帝説じょうぐうしょうとくほうおうていせつ』と、諸説あるのを説明する。
どちらの説であっても、当時朝鮮半島の百済くだら聖明王せいめいおうから釈迦如来像しゃかにょらいぞう経典きょうてんが日本の欽明天皇きんめいてんのうに贈られたことが、由来(公伝)となるそうだ。

そういえば何故、当時の日本は異国の宗教をわざわざ導入しなけらばならなかったのか。あらためて疑問に思う。

そもそも、「宗教」とはなにか。
実は日本語の「宗教」という言葉は、仏教学者・中村元氏の説によれば仏教に由来するという。
仏教における「そうの教え」、つまり究極の原理や真理を意味する「そう」に関する「教え」を意味しており、仏教の下位概念として、宗教が存在していたわけだ。

幕末期に英語の「Religion」の訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。
その後「宗教」はキリスト教を示す用語としても受容され、日本人が抱く宗教のイメージに大きな影響を及ぼした。

欽明天皇きんめいてんのうは、大陸から伝わった仏教を日本国内に広めて良いものか、臣下に問うたと言われている。国内には「日本の神々」を信仰する日本発祥の「神道しんとう」が、既に根付いていたからだ。

外国から来た神(仏教)ではなく、日本古来の神を崇めるべきと主張したのは氏族の物部もののべ氏だ。
それに対し、当時日本で勢力を誇っていた大豪族の蘇我そが氏は、仏教は渡来人との関係が深く、西側ではみな信仰しているのだから、我ら日本も仏教を礼拝すべきと主張した。

これが本当であれば、古来より日本の権力層には舶来はくらい趣味があったことになる。
現代においても日本が誇るハイブリット技術より、技術も性能もはるかに劣る電気自動車(EV)を広めようと助成金をばらまいている。世界はやっぱEVは無理と、日本車回帰を始めているというのに。

ついでに言うと欧米で大失敗し、スウェーデンともなれば一人490万円払うから出ていってくださいとまでなっている移民促進を、これから本格化させようという狂気の沙汰さたの政策を決めている。
育成就労(外国人材受け入れ制度)の創設を柱とする入管難民法改正案審議の際、ときの総理大臣は「外国人にとって魅力ある制度を構築し、選ばれる国になることが必要不可欠だ」などと強調してみせた。
まさに仏教の末法まっぽう思想、「世もすえ」である。

この論争は結果的に蘇我そが氏が勝利を治め、仏教は国の中枢ちゅうすうを担う政治や文化の中心として、重要な役割を果たしていくことになる。
国内で自然発生していった神道しんとうに対し、釈迦しゃかという一人のインド人の教えの方を採用したわけだ。それも「他所よそがやってるからウチもしーよおっと!」が動機であれば、主体性がなさ過ぎやせんだろうか。

ちなみに「神道しんとう」という言葉は、日本に伝来した仏教との競争に直面して、日本の伝統的な信仰形態を区別するために名づけられたものだ。
神道しんとうの歴史は縄文時代(紀元前約1万8000年頃〜紀元前300年)まで遡ると言われる。
古墳時代(300年〜600年ごろ)には原型ができていたと伝わり、弥生時代後期には祭政一致の下に国を統率する上での祭神として皇室ゆかりの人物が配せられるなど、日本古代の信仰として形成されていた。

神道しんとうは日本人の生活文化の全般に浸透し、動物や植物、その他生命のないもの、例えば岩や滝にまで神や神聖なものの存在を認める、いわゆるアニミズム(精霊信仰)になる。
神道しんとうはそれを作り出した教祖もなく、キリスト教における聖書やイスラム教のコーランにあたる教典もなく、組織化あるいは体系化された教団もない。そのため、神道は宗教ではないとさえ言われている。

これで充分じゃないか。なんで自国の神さまより異国の人間の(悟りを開いたとはいえ)話をありがたがらなきゃアカンのか。
と、個人的には思うのである。

昨日の講義で、そんな話が出たわけじゃない。ただどうにも、仏教の入ってきた動機が釈然としないのだ。
これが「愛の戦士レインボーマン」であれば、主人公ヤマトタケシが妹の治療費を稼ぐためプロレスラーになることを決意し、インドの山奥に住む奇蹟の聖者ダイバ・ダッタのもとに修行にいくという実に真っ当な動機があるのだが、時の権力者がそんな純粋な気持ちから導入を決めたとは思えない。
おお、この謎解きこそ歴史のロマンと言えるのではないか。じゃないかもしれないが。
(次回に続く か?)


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