アルツハイマーの祖母
祖母がアルツハイマー型認知症と診断され、しばらくになる。
数年前に祖父が亡くなってから、だんだんおかしくなってきたように思う。
尤も、アルツハイマーは発症の10年以上前から、その原因となるアミロイドβが脳に蓄積し始めるとされているので、その頃にはもう溜まりかけていたのだろうけれど。
祖父の死は突然だった。手術適応のない、進行した肺がんで、抗がん剤による化学療法を受けていた。がんの病勢は抑えられていたものの、抗がん剤の副作用による手足の痺れは顕著で、トイレで足に力が入らなくなり、動けなくなるほどであった。当時、私は医学部5年生。今の自分であれば、そんなに副作用が強く出ているならば、一旦休薬など考えるのだが、その時は思い至らなかった。無知だった。あれよあれよという間に薬剤性の間質性肺炎を発症、望みをかけたステロイド治療でも救うことはできなかった。本当に、あまりにも突然旅立ってしまった。
人は何か納得できる理由を求めたがるもので、祖父が前に飼っていた愛犬のふーを引き合いにだして、「今頃向こうでふーちゃんと散歩してるんじゃないかね、きっと楽しんでるよ、向こうの生活」なんて半ば強引に思ってみたりするものの、祖父に何もしてあげることができなかった、という気持ちは消えることはない。間質性肺炎は、「肺炎」といっても、一般に想像されるような細菌性肺炎とは全く病態が異なる。「ちょっと肺炎になっちゃったんだよ」通常の細菌性肺炎のように薬で治ると信じている祖父に、間質性肺炎の予後は厳しいと言えるはずはなく、残された時間はかなり短い可能性が高いと分かっていながらも、ありがとうの気持ちや、最後の言葉を伝えることはできなかった。
罪滅ぼしのつもりだろうか、祖母にはできるだけのことを返したいという気持ちがある。
祖母のことに話を戻そう。「あれがなくなった、誰かにもってかれた」と物盗られ妄想に苦しみ、金属の鍋を電子レンジにかけたりと、一人暮らしが厳しくなってきた。小規模多機能型住宅に入居することになった。コロナ禍の世の中、面会も、施設の外にでることもできない。散歩が好きだった祖母にとって、庭をちょっと歩くこともできないのは酷だ。祖母が入居するほんの数週間前に、私は長男を出産した。祖母にとって初めてのひ孫だ。抱っこしてもらいたい気持ちは溢れんばかりなのに、その願いは叶わない。おむつ替えの時に我が子のふっくらした太ももに触れるたび、散歩もできずに祖母の筋力は衰えてしまわないだろうかと憂う。
できることといえば電話くらいしかなく、折をみてかけている。
ある日の午後6時、夕食後まもない時刻のはずだ。「今日の夕飯はなんだったの?」「うん、なんか普通のだね、おいしかったよ」一瞬、数十分前の記憶がないことにひるんだ。そうか、そうだ、できごとからの時間じゃないんだ。短期記憶はたとえ直前のことでも保たれない。それでも、「おいしかった」ならいい。「おいしかった」記憶だけで、十分ではないか。
黒豆の煮たの、しらすとおかかのしょうゆおにぎり、キャベツをニンニクで煮たようなの、天ぷら…祖母の手料理を考える時、そんなのが思い出される。まだ作れるだろうか、祖母は作りたいと思っているのだろうか。認知症は記憶が失われるだけでなく、脳の機能が衰えることによって日常生活全般に支障が出てくる。たとえ、もう祖母があの味を作れなくても、私の舌はあの味を覚えている。
あぁ、早くコロナが終息しないだろうか。
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