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(薪の神事)名無しの章  世阿弥の本願

この名無しの章では世阿弥のやってきた申楽の意味が宣言されているように私には見えます。

ここでは水のイメージは遠い。
前の章「北山」で祝福された海原の水は、ここでは天に上がって雪と降り
翁の息が、とうとうたらりたらりらたらりあがり ららりどうの言葉になり、
唱和する声が重なり、滔々と落ちる瀧水となる。
それから、最後の千鳥の足跡が残る砂浜の向こうに海が静かに鳴っています


さて、『金島書』最後の名無しの章は、故郷奈良に戻ります
そのざっくり訳と、主語に当てはまりそうなのを探してみました。


そもそも、よく治まっている時代の歌は、安らかで、楽しい。これは政治が穏やかであるから。だから歌は天地を動かし、鬼神の心を動かすというのである

きさらぎの初申なれや春日山、峰とよむまでいただきまつる」 源俊頼(歌人、篳篥の名手)
2月の最初の午の日であることよ、春日山の峰に鳴り響くまで(神を)崇めもうしあげる
音楽や舞を奉じるのが昔からの神の祀り方であると言ってるのがこの和歌。


春日山のてっぺんまで鳴り響くのは何か?
最初に思い浮かんだのは、若草山焼き。山肌の炎も、浮き立つ人等の熱と祈りも、峰をとよもすのは思い浮かべやすい。が、1月中に若草山を焼かないとよくないことが起こるという伝承が世阿弥以前からあったのでこれではない。


初午のお祭りは稲荷のお祭り、春日大社にお稲荷さんはおいでかなと調べたら、若宮おん祭りにご奉仕される大和士の精進潔斎所である大宿所に、春日大社の末社、大福稲荷神社があった。今も2月の初午の夕刻春日大社の神主さんが神事をなさっているそう

「春日大社大宿所と大福稲荷神社」鹿鳴人のつぶやき より
大福稲荷神社のある大宿所は、今、南都楽所のお稽古場にもなっている。世阿弥の文脈を辿ると、峰まで鳴り響くのは神事で奉納する音楽や舞。



「きさらぎや雪間を分けし春日野に置く霜月も神祭るなり」

2月には積もる雪に隙間ができる春日野に、霜が置く11月も神を祀るという(初午祭が五穀(稲も含む)豊穣を祈るもので、霜月祭は新嘗祭で稲の収穫を祝うもの)この神事が今も続くのは安らかで楽であれとお守りくださる神のお蔭

だから(世阿弥が)浄衣を纏って、毎年2月2日に興福寺の東金堂の追儺会に出仕して、謡う「翁」も、仏もきっとお受け取りくださるに違いない。そういうわけで、興福寺の西金堂、東金堂、両堂の御法会にもまず、申楽の舞や歌を整え、御治世が長く続くようお祈り申し上げ、国土は豊かに、人々は裕福に新年を迎え、年を重ねるよう祈る。薪の神事というのもこれをいうのです(申楽≒薪の神事?)

天満大自在天神(菅原道真)の願をお立てになった文章にも「名は唐で有名になり、法会は興福寺に心惹かれる」と霊験あらたかに仰っている。

興福寺の12の大きな法会の最初に猿楽をご奉仕するのが、今の時代になるまで続いたのは、目に見える霊験あらたかな神道の尊さで、この先も永遠に続くでしょう。

「これを見ん、のこすこがねの島ちどり、跡もくちせぬ世々のしるしに」
人はこれを見るだろう。佐渡に流された私(世阿弥)の後世までも朽ちないしるしとして、
永享八年二月日  沙弥善芳(世阿弥の法名)


法会のはじめ、申楽が場の位相を変え、仏へのご奉仕がつつがなく行われ、仏のご加護により世界は平穏無事に守られる、と。


お謡が場の位相を変える件。
昔になっちゃったけど、鵜澤光さんの道成寺の披きの時、前半の久さんも凄かったが、
観世のお家元が能舞台の真ん中に座って、謡いはじめたら
その場が、次々に梅の蕾が花開くところになった
物質的な変化は何もない、でも、空気感が変わった
若者へのはなむけなんだなと思った
後で話したら隣の人も同じ感じがしたらしい

不可思議


それから、ここでも北野の天神が出る。
興福寺は藤原氏の氏寺、藤原氏は菅原道真公を陥れたのに…
ですが、世阿弥の思い出の中の北野天神は違う意味を持つ
後ほど別に

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