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別府そぞろ歩き。第1歩


☆別府駅☆


写真に載せているの私が住んでいる別府の玄関口であるJR別府駅です。
駅を出ると目の前には写真だと右側に写っているちょっとモニュメント風のスペース。
じつはこれ、別府の湯を手で体感できる「手湯」なんです。

このモニュメントは別府市内の至る所から湧き出る日本一の豊かな温泉をイメージして作られたそうで、土台には別府原産の【別府石】を使用しており、天然温泉の源泉掛け流しを24時間いつでも、無料で気軽に楽しめます。

泉質は【ナトリウム一塩化物、硫酸塩泉】
主な効能は「切り傷、やけど、婦人病、神経痛、消化器病、冷え性、関節痛」とのことです。
夏場暑いかもしれませんが寒い時期は手がぽかぽかします。

☆【別府石】とは?☆

かつて別府のいたるところには、鶴見岳をはじめとする火山から、火砕流や土石流として、流れ出してきた安山岩(日本で一般的な火山岩の一種)がころがっていました。
現在も、道路工事や宅地造成などで土地を掘り返すと、安山岩の転石がたくさん出てきます。 人びとは、それらを【別府石】と呼んで大事にし、いろいろな石材に使ってきたそうです。

そして写真の左側の銅像は観光の開発と発展に尽力した実業家・油屋熊八氏の銅像で、別府駅のトレードマーク的存在になっています。
油屋熊八のマントには小鬼が摑まっています。

油屋熊八と小鬼の像

☆油屋熊八って誰?☆

奇想天外なアイデアと規格外の行動力で日本一の“泉都”を築いた男。相場師“油屋将軍”から一転して“別府観光の父”になった。
この方を調べるとまずこのような事が書かれていました。

☆油屋熊八の転機☆

熊八は小学校しか出ていなかったが、小さい頃から働き者で有名で、27歳には宇和島(現愛媛県宇和島市)の町会議員になり30歳になると、心機一転大阪に渡り、米相場で巨万の富を築いてそのときにつけられたあだ名は“油屋将軍”。
※日露戦争が始まる前に米の先物買いで当時のお金で六十萬円(現在で数十億円)を稼いだ。

しかし34歳のとき熊八は、日清戦争後の相場で失敗し、全財産を失いました。

無一文となった熊八は、失意のなか、妻ユキをひとり別府に残し、35歳で単身アメリカに渡る決意をして「臭くて暑い船底」になんとか潜り込んだ熊八は、アメリカ大陸への上陸を果たす。

『って書いてましたけどお金ないから密航したってことですよね。行動力がすごい。』

アメリカで放浪しながらもある日系の牧師に出会いキリスト教学びその後3年かけてカナダからメキシコまで北米大陸を放浪し、38歳で恩人の牧師から帰国を勧められ帰国。

『書いてはいなかったけど帰りは普通に帰ったのか気になる所』

熊八がキリスト教を学んだ際に感動した聖書の一文があり、
“Remember to welcome strangers in your home.There were some who did that and welcomed angels without knowing it. ”(Hebrews 13:2GNT)「旅人の接待を忘るな、或人はこれに由り、知らずして御使を舎したり」(「へブル人への書」第13章2節)
この一文と3年の旅が熊八の価値観を一変させた。

☆ “油屋将軍”から“別府観光の父”に☆

帰国した熊八は、大阪で相場師としての仕事に戻るが「お金もうけなんかより、旅人をもてなしたい」と自分のなかの「何か」が劇的に変化していたことに気づいた熊八は、妻ユキのいる別府に移り住み、一念発起して「亀の井旅館」(現「別府亀の井ホテル」)を創業して、ホテル経営者になる。

しかし熊八にはお金が無く少ない資金のなかで、どうやったら客に来てもらえるか。
熊八は考えに考え抜き、「そうだ!いま自分にできる最高のことをすればいいんだ!」と自らの“おもてなし哲学”を一つひとつ実行に移して行き、大正初めには世界中から数多くの要人たちを迎えるほどの一流ホテルにまで成長していったが熊八は自分の旅館だけでなく、別府の町全体のことを常に考えて行動し、いつしか“別府観光の父”とみなから尊称されるようになっていた。

☆油屋熊八がやったスゴイ事☆

● 若い美人バスガイドが案内する観光バスを日本ではじめて走らせた。

● 千年以上も昔から地元で“地獄”と忌み嫌われていた一帯に目をつけ、それを別府観光の目玉にしようとした。
※ 観光バスで周る“地獄めぐり”は、「生きているうちに地獄に行けば、死んでから地獄に行かん」という地元のいい伝えもあって爆発的な人気を集めた。

● “山は富士 海は瀬戸内 湯は別府”と書いた大きな標柱を富士山頂に立てた。
※現在はさすがにないみたいです。

● 温泉マークを別府温泉のシンボルマークとして一般に広めた。

● 大阪毎日新聞が行った「新日本百景」の人気投票で熊八は大量のはがきを買い込み、別府市民に配り投票してもらい、別府温泉は全国一位に選ばれる。

● 自前で水上飛行機をチャーターして関西上空から「当選御礼!別府温泉!」と書かれたビラを大量にばら撒く。

これらの事を行いテレビやネットもない時代にいまでいう「メディア」を巧みに利用して別府温泉の名を全国に広げる。

これ以外にも色々なエピソードがあり“別府観光の父”と呼ばれる油屋熊八ですが、自身のハゲ頭を指して子供たちから「ぴかぴかのおじさん」と親しまれる面もあったそうです。
銅像にもしっかり刻まれていました。

油屋熊八の像

側面には“山は富士 海は瀬戸内 湯は別府”の文字も刻まれています。

油屋熊八の像

ちなみに油屋熊八像のこのポーズは天国から舞い降りてきた熊八さんが「やあ!」と呼び掛けているイメージだそうでマントにしがみついている小鬼は地獄巡りの小鬼だそう。

小鬼

まぁ油屋熊八さんのご紹介はこのくらいにして皆さんも、もし別府に来られた気軽に熊八ポーズで記念写真でも撮って下さい。

☆次回は?☆

今回も最後まで御覧いただきありがとうございます。
少し今回は説明多めの記事になってしまいましたが次はもう少し楽に書こうかと思います。
次は南側高架下あたりをそぞろ歩きします。


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