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大人になった私と子供のままのミイ。

スーパーで思わず買ってしまったもの。

レジ待ちのところに置いてあった、キシリトールガムのボトル。

普段ガムなど噛まないのに、そのボトルになぜか心を奪われ、つい手が出てしまった。

久しぶりに胸がキュン♡となったもの。

それがコレ!↓↓↓

笑えてくる。

キシリトールガムでキュン♡となっている50過ぎの私。

〝ムーミン〟は小さい頃テレビでよく観ていた。

調べてみると、1969年版と1972年版があり、1969年版は当時2歳なのでさすがに覚えてないだろうから、当時5歳である1972年版を観ていたか、それとも後の再放送を観ていたのか…。

あの独特な雰囲気は強烈に記憶に残っていて、特に好きでもなかったが、なんとなく観ていたことは覚えている。

一番好きなキャラは何かと聞かれたら、間違いなく私は〝スナフキン〟だった。

〝スナフキン〟はいつもクールでアンニュイで、話す内容がいつも優しさと賢さで溢れていて、当時子供だった私から見ても、とても大人のカッコいいお兄さんだった。

そして一番嫌いなキャラは何かと聞かれたら、それは間違いなく〝ミイ〟だった。

〝ミイ〟はちょっと意地悪で、なんでもズバズバ言う性格は当時の私にはとても理解できなかった。

絶対に友達になれないキャラ。そう思っていた。

なのに、なのにだ。

大人になって随分たった私が、ボトルに描かれたミイにキュン♡だ。

花を抱えて座りながらこっちを見ている姿が可愛くて、思わず手に取ってしまったのだ。

そう言えば、そんな勝気で毒舌なミイだったが、いつも周りにはムーミンたち友達がいた。

子供心に、ムーミンはなんでいつもミイと仲良くできるのか、不思議で仕方がなかった。

よくよく考えてみたら、ミイは決して嫌われ者ではなく、あの性格もひとりの個性として描かれていたのだ。

その個性も、大人になった今なら受け入れられるだろうか。

ズバズバお構いなしに意見を言う人と、友達になれるだろうか。

うーん。
なれます!とは言い切れないか…。

今まで生きてきた中でも、そういう人は少し苦手な部分もあったのは事実。

仲良くはなれても、友達としてのお付き合いは続いていないと思う。

しかし、人は人とコミュニケーションを取る生き物でもあるし、〝人は見かけによらない〟ことも沢山経験してきた。

まずはその人の〝人となり〟を知ることから始めないといけない。

幼い私はミイの〝人となり〟を知ろうとしなかったのは確かだ。

話し方や言葉使いだけで『この子きらい』と決めつけていた。

これまでの実生活においても、そういうことは往々にしてあったかも知れない。

そこは本当に反省しなければならない。

調べてみると、ミイは口調はきついが、なかなか的を得たことを話していたようだ。

体は小さいけれど、洞察力があり、本質を突くような言葉をズバッと繰り出すミイ。

「あのさ、たたかうってことをおぼえないかぎり、あんたは自分の顔を持てるわけないわ。ほんとよ」
(小説「目に見えない子」『ムーミン谷の仲間たち』より)

「みんなして いがみあってばかり!なんで仲良くできないのかねえ」
(ムーミン・コミックス第4巻『恋するムーミン』より)

「ふんっ。わたしはもともと自由に生きてるから関係ないわ」
(ムーミンバレーパーク/エンマの劇場ショー「自由でしあわせな生活」より)

「そうよ、かなしむなんてできないわね。あたいは、よろこぶか、おこるだけ。あたいがかなしんだとして(略)なにかの役に立つとでもいうの?」
(小説『ムーミン谷の冬』より)

「間違いないね。でなきゃ、こんな旦那、ほおりだしてる」
(新作アニメ『ムーミン谷のなかまたち』第8話「フィリフヨンカさん怪事件」より)

   (※ムーミン公式サイトより一部抜粋)

印象的な言葉は、ムーミンバレーパークのベンチのプレートにも刻まれていたり、講談社から刊行されている「ムーミン谷の名言シリーズ」の『ちびのミイのことば』という本まであるというから驚きだ。

       (※ムーミン公式サイトより)

ミイは、喜ぶか怒るかだけで、悲しむということをしないと言う。

そんな風に生きられたらどんなに楽だろう…。

そんなことをふと考える。


『今まで嫌っていてごめんなさい』

大人になった私がボトルの中の小さなミイを見つめる。

ミイはちょっと意地悪な顔で

『許してあげてもいいわよ』

と、こちらを見て笑っている。




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