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拝啓、大黒摩季さま。あなたという方は…
「ら・ら・ら」「熱くなれ」「夏がくる」などなど、数々のヒット曲を世に送り出した、言わずと知れたアーティスト、大黒摩季。
1969年生まれで、私より3個歳下の彼女。
特に“大ファン”というわけでもなかった私だが、ここ最近テレビやネットで拝見したりすると、なんとなく気になる存在と化していることに気付く。
このお歳でこんなミニスカートが履けるのだから、いやいやさすがです。アッパレ♫
彼女のこれまでの波乱の人生を知るきっかけとなったのが、こちらの番組。
この放送の中で、ご自身の病気のことを話しておられ、さらには不妊治療までされていたという壮絶な過去のお話もされていた。
私はひとりで涙しながらその放送を観ていた。
どの世界にも病に苦しんでいる人はいて、誰にでもつらいことは起こりうる。
人生ってホント色々だなって。。
私は乳がんが見つかり、そのあと精神まで病み、大好きだった仕事が続けられなくなり途方に暮れていた時に、この note の存在を知りこの世界に飛び込んだ。
そして、それぞれ色んなことで苦しみながらも前に進むたくさんの noter さんの存在を知ることができ、あぁ私だけじゃないんだと、とても励みになった。
人生は人それぞれ。
順風満帆な人生など、ほとんど存在しないのだ。
そしてつい最近、あるラジオを聴いていたら、また大黒摩季の話題が出た。
それは光永亮太が DJ を務めるラジオ番組。
彼もまた「Always」という曲で一躍有名になったアーティストである。
私は彼の声が好きだ。
彼の DJ は心にスーッと入ってくる。
それが心地良いので、彼のラジオ番組をよく聴いているのだが、その時のその話を聞くまで、光永亮太と大黒摩季がまるで“姉弟”のような長い付き合いがあるということを私は知らずにいた。
ラジオの中で彼は、大黒摩季という人は僕の人生の中で切っても切れない人と話した。
出会った当時、彼は思うように歌えなくなる、いわゆる“イップス”のような状態に陥っていたという。
「Always」が大ヒットしたあとの話しである。
そして、心を閉ざしていた彼を救ったのが、何を隠そう“大黒摩季”だった。
決してその頃まだ仲良しではなかった彼に、「費用は私が出すからボイトレに通いなさい」と言って通わせてくれたという話に驚いた。
ラジオ番組の中でのお話だったので、掻い摘んでの説明だったと思うが、とにかく、彼にとって大黒摩季は人生の恩人なんだと話してくれた。
彼女との出会いがなければ、今の彼は存在してなかったのかも知れない。
人に寄り添える人って、どんな人なんだろうって考えてみる。
それはきっと、生きてきた中で悩んだり傷付いたり…、心の“痛み(傷み)”を経験した人だからこそなんだと、私は思う。
しかしながら、傷を負った人が全て他人に寄り添えるわけではない。
自分のことで精一杯で、人のことまで気持ちがいかないことのほうが多いのでは。
思っていても言葉や行動にするのは難しいかも知れない。
私もまだまだ未熟で、そんな余裕などないかも知れないけれど、それでも誰にでも“愛”をもってそっと寄り添えることができる人間でありたいと、常に願っている。
『人に寄り添える人』
『そっと手を差し伸べられる人』
頑張るのではなく、自然にそんなことができたなら、私の人生はどんなに素敵なものになるのだろうか。
年が明けたら58歳となる私、Tomoka 。
人生、日々“修行”である。
最後までお読みいただき有難うございました♪
ではまた。 Tomoka (❛ ∇ ❛✿)