私の中の2つのカレンダー
今日は新月、旧暦の元旦。
在日コリアンとして生まれた私の実家では、いつも2つの暦があった。いわゆる1年365日のグレゴリオ暦、陽暦のカレンダーと、旧暦のカレンダー。
台所の、家族みんなが一番目にするところのカレンダーは、陽暦と旧暦が両方表示されているもので、日本の季節的な行事は陽暦で、それとは別に韓国の季節の行事や家族の祭事などは、旧暦に基づいて行われていた。つまりは何かとイベントの多い家だった。
そして母は、いつも両方の日にちを確認していて、特に何か大切な時は、陽暦だけでなく旧暦の日にちの数字をみていたこともよく覚えている。
確か、この日は大安だけど日が悪い、この日なら「9」の日だから大丈夫とか、そんな具合に。
2つのカレンダーを使いながら育った私の内側にも、自然と2つの暦が育っていった。
旧暦はいつも、陽暦のあとから追いかける形で進んでいく。といっても、追いつきたいわけではなく、追いつくこともないわけで、いつものんびりと進んでいくようなホッとする体感がある。
陽暦の暦には間に合わなかったことを、旧暦で叶えるようなことも多々ある。はじまりやきっかけがいくつかあるのはありがたい。
実際、今年も年明けからひと月が過ぎようとしているが、まだまだ私は「2025年はこれとこれをやるぞー!」みたいなモードではなく、今だに去年の、いや、ここ数年の整理整頓をしているような状態だ。まだ冬の土用期間ということもあるかもしれないけれど。
とはいえ、そんな私をよそに、自然界、植物界は着々と春に向けての準備を進めている。
小さな庭に出て季節の巡りを感じたら、自然とそろそろ私も土の中から顔を出さねば、という気持ちになる。
今宵の新月は少しだけ未来に、この1年に思いをはせたい。
旧暦と陽暦と、2つのカレンダーを内に秘めつつ。
旧正月おめでとう!