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私にとってのマラソンの経験


日々、noteを読んでいると巡る色んな想い。

自分のしてきた経験が想いだされて懐かしんだり
それまで気付いてなかった事に ハッと気付いたり。


アメリカ在住の まつむらさん の記事を読んでいて
いつも想いだされるあの経験を書いておこうと思いつつ何日も経っているのですが、、、今日こそ書いてみようと思います(*´▽`*)



まつむらさん💗ありがとうございます。




あのとき始めなかったらチャンスは二度となかった話



2016年、当時の私は44歳。
佐渡ヶ島に移住しました。

膠原病の発症から9年が経過していました。

病状は良くなったり悪くなったり。

当時一番悩ませられていたのは「光線アレルギー」

これが佐渡島に来てから症状が出なくなり、体調が毎日安定している状態が続きました。
初めての寛解の時期でした。
娘が望んで来た佐渡島でしたが私にも合っていたのだと思います('ω')ノ



マラソンをしてみたい


佐渡島には「佐渡トキマラソン」が毎年春に行われていました。
2016年に来た時は夏でしたので大会を見たことはありませんでしたが、朝や夕方に走っている人をよく見ました。

そして町にはマラソンのポスターが一年中貼ってありました。

これまで運動には縁がない人生を送ってきた私でしたが「マラソンしてみたいな」と思いました。


私が住んでいた当時の佐渡島の人口は5万7千人。(減少し続けています)
人の数は少ないけれど、人間関係の密度は都会以上です。

私がマラソンやってみたいな。とつぶやけば、経験者の面々がトレーニングを申し出てくれました。


2017年の大会に向け、2月から準備を始めました。
たった2カ月でもマイペースで走りこめば大丈夫だと言われました。
完走が出来る距離で走ろう、ということで成人の部では一番短い5キロにエントリーしました。


歩く延長が走り


コーチになってくれた人は、トライアスロンの選手でした。
練習に付き合ってくれた友達は元陸上の選手。

恵まれた環境のなかで、初めのトレーニングのときに「歩こう」と言われて驚きました。「走らないのか」と聞くと「歩きの延長が走りだからね」と言われました。
早足で歩けたら走れる とも言ってくれてとても気が楽になりました。


初めのトレーニングは、ストレッチの後に1キロ歩いて、体が温まったところで1キロランニング🏃のタイムを計りました。

思いのほかタイムが良くて、これなら5キロ30分台で走れるだろうから大丈夫だと太鼓判を押されて喜びました。


コーチは、続けて走ることを教えてくれました。
5日走って1日休む。を繰り返して、マラソン大会の前日は「絶対走らない」「ちゃんと食べる」「夜は炭水化物を多めに食べておく」という指示を守りました。


はじめての大会


「佐渡トキマラソン」は、大きな大会でお祭りのようで盛り上がります。
まだ島に住んで1年未満でしたが、初マラソンを祝って私の応援T シャツを着てくれる人が20人もいて嬉しかったです。

愛想を振りまきながらニコニコ走りました('ω')ノ
誰かに応援されて運動するなんて初めての体験、とても楽しかったです✨
順位は全体で9位40歳以上の中では5位。タイムは28分34秒でした。



くやしいという初めての経験


運動で「くやしい」と思ったこと、これまでになかった感情でした。
ニコニコ笑いながら楽しく走って9位。素晴らしいですよね?

初マラソンで9位なんて凄い!!

と皆言ってくれました。ところが、、、

あと一人抜いてたら入賞していたのに残念だったね。

という意見があって、「え?入賞ってなに?」って👀👀👀

入賞すると、何があるって記念品をもらえるということでした。
なんだか入賞っていいな、っていうか入賞まであと一歩だったんだなぁと思うとジワジワくやしくなってきて・・・

その日のうちに「来年も出る!!」と宣言してしまいました。



ここからが本当に運動するということだったんだ



着付けの資格取得で燃えてたのも同時期
#なんのはなしですか


1年後の大会に出ると決めて取り組むことが、想像を超えるしんどさでした。

海沿いを、週に5日走ることを決めた。
コーチは1年後の大会に出るなら、もし上位を目指すなら休んではいけない、でも走りすぎてもいけないと言いました。

佐渡島の海沿いには走ったり歩いたりするために舗装されている道がありました。最長で10キロ走れる距離です。

最初は5キロを走っていましたが、だんだん距離を伸ばしていき、最終的には10キロをペース崩さず走れるようになっていました。

寒い冬は、佐渡市総合体育館まで行って走りこみました。

毎日お仕事の前に、走る。

佐渡島では、それまで住んでいた街のようにはエステサロンにお客様は来ません。パートをいくつも掛け持ちしていました。

うまく行かないエステサロンの経営、掛け持ちでするパート、この先の不安、全てを走ることで忘れたいのに走りながら悶々としていました。

辛いな、と思う日が増えていましたが
コーチからの『休むと物凄い速さで力が落ちるよ』の言葉が効いて頑張れました。


この頃、自分が膠原病を持っていることなど忘れていました。
寛解しているだけなんだということを2年後に思い知るので、病気や体質を忘れて動きまくっていたこの時間が私の人生にあって良かったなぁと思います。



2度目の大会に参加


走ることが楽しいと思ったり苦しいと思ったり。

走りこむうちにタイムが縮まり、10キロかハーフにエントリーしてはどうかという意見もあった。
でもコーチと目指していたのは「入賞」5キロの部でのリベンジを果たそう、となり2年目の大会も5キロの部。


やる気満々のスタート前


結果が全てとは言いたくないけれど


スポーツは結果が全てだと言いたくないけれど、自分自身への評価は結果が全てだと思いました。

結果は、総合で3位という結果をいただきました🏅

1位は高校生、2位は39歳以下の部の方でしたので40歳以上の部では1位です。


佐渡のゆるキャラサドッキー!


25分56秒、練習タイムの自己ベストは更新できませんでしたが、満足な結果でした。



 

2018年以降どうなったか


2019年の大会にはエントリーできませんでした。
2018年の大会後、エステサロンで併設した健康事業が当たって忙しくなりすぎました。

練習不足でも軽く出られるほど、運動の経験があったり度胸があったりしないので出場することなく、ジョギングを時々する程度になっていきました。


そして翌年に膠原病の症状が徐々に表れ、走るは疎か歩くことも長時間はままならず悪化はジワジワと現在も続いています。


2020年急性心膜炎発症


どうもこの頃、動悸がするなと思っていました。
ある夜、締め付けられる胸の痛みがありました。

でもコロナ蔓延の時期でしたのでなんとなくスルーしてしまった。病院には行きにくい時期でした。

仕事の打ち上げで、生ビールを1杯飲んだ夜、また胸の痛みで起きました。
この時は なんとなくスルーは出来ない痛み。

近所の呼吸器科に夜間行きました。というか運ばれた。

「急性心膜炎です」

子どもの頃から心電図はよく引っかかる検査でした。
実はそれが原因で体育は出来ないことが多かった。
心臓がおかしいかも?と思ったときにもしかして何かあるかな。とは思ったのです。
だから驚きはしなかったのだけど、その後に続く医師からの質問に驚きました。

「運動は、何か激しいことをしてきましたか?」

最近の運動を聞かれました。その当時は全く走れていなかったので「3年前から去年まで走っていました。3年前には大会に出ました。」と答えました。

病歴から見ると、激しい運動は命取りになりかねません。と言われました。

私は知らずに命がけの行為マラソンをしていたみたいです😂

激しい運動と、飲酒はドクターストップになりました。


2020年10月 48歳のことでした。


私の人生において、思いっきり走れた期間は2年の間の出来事でした。
大会というものに出ることも、表彰台に上がることも、もう二度とありません。

二度とない経験を、あの時、自分にしてあげられたこと本当に良かったと思います💗



8年前、佐渡島の海岸沿いを毎朝毎朝走っていた私は、その後には まともに歩けない日もあることを知らずに走っている。


「いま始めなかったら、もうチャンスは来ないと思った」わけではないけれど、「あのときやっていなかったら、もうチャンスは来なかった」というお話。


あのときの私に今の私からメダル🥉贈りたい。
そんなふうに思い出させてくれた まつむらさん ありがとうございます🩷



最後までお読みくださいました皆様、ありがとうございました💕






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