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小説 #05 アーカイヴ屋・壺井が記憶のアクセスを伝授する。

ゴーストライターである僕は作家FH(フェイ・フュー)を担当することになった。FHは、自分の記憶をどこかにアーカイヴさせていると言う。そこでFHは、僕を壺井ツボイという男のところへ連れて行った。壺井はヴィークル社という、記憶のアーカヴ屋をやっていた。


FHは僕を、チャイナタウンの中の豪勢な中華料理店へ連れていった。

夏の終わりの夕刻過ぎ。店はもうにぎわっていた。

朱と金色のダイニングルームは天井が高く、着飾った客たちのグラスを合わせる音、歓声、衣擦れの音が満ち、水煙草シーシャのフルーティな香りがうず巻いていた。

フロアに立っていたマネジャーは、はちの大きな頭とぎょろりとした目つきの、禅僧を思わせる風貌だった。FHが用件を伝えると、男は消炭けしずみ色の衣の裾をひるがえして、僕らを奥へ案内した。

無数にあるように見えるテーブルの間を、白い麻のシャツの袖をまくりあげ、さっきの禅僧男と同じ消炭色のソムリエエプロンをきりりと巻いたウェイターたちが信じられないほど大きな皿を持ち、背筋を伸ばして行き来している。

「あなたはここへ何度か来ているのですか?」僕はFHの耳元に口を寄せ、そうたずねる。
「ええ。最初はうたげの客の一人として。ここはこの界隈でもいちばん大きなバンケット・ルームなの」FHは上気した表情でフロアを見渡しながら、答える。

禅僧男のあとについて、店の中を抜け、奥へと向かう。銀髪で、上背のあるFHがゆっくりと歩いて行くのを目で追う客もいた。

大きな紫檀したんのドアの前まで来ると、男は小さくうなずき、下がっていった。”The Vehicle Inc.” と書かれた小さなプレートが掛かっている。

そこは、やや暗い廊下で、いくつかのドアが並んでいた。あたりに微かにスパイスの香りが漂っている。

ノックをすると、中からドアが開き、すらりとした男が僕らを招きいれた。

「お久しぶりですね、フェイ・フュー」壺井がにこやかにFHを迎え、ごく短いハグをした。
「初めまして。壺井です」彼は微笑みながら僕へも右手を差し出した。

壺井は50歳くらいか、もっと上かもしれない。すらりと細身で、形のよい頭が際立つショートカット。笑顔。店に出ている若いウェイターたちと同じように、客商売に耐える、よくデザインされた風貌だ。

「フェイからご用件は伺っています。早速ご案内いたしましょう」

壺井はくだんのFHの記憶のアーカイヴへと案内してくれた。それはさらに別のドアと、幾重にも曲がった通路の奥にあった。店の喧騒はもうとうに聞こえなくなっていた。

僕はFHをそっと見た。彼女はどこかうっとりしたような表情を浮かべ、壺井の隣を歩いている。彼女は不安ではないのかな?

アーカイヴ・スペースには木製のキャビネットがずらりとならんでいた。古い図書室の、あの昔ながらの目録カードが収められたようなキャビネットだ。高い天井のどこかに明り取りの窓があり、そこから斜めに光が差し込む。まるで教会のようだ。

壺井はアーカイヴの通路を歩きながらしゃべる。僕らは黙って壺井の話を聞いている。木の床に、FHの華奢な靴が乾いた音を立てる。

壺井が言う。「わたしはDNAに欠損があって、ベルカナというんですが、おかげで特殊な能力に恵まれています。記憶の〈アーカイヴ〉の仕事をしているのも、そのおかげです。ところで、壺という漢字には宮中における部屋という意味があって、この奥まったスタジオで仕事をしているのも、壺井家の血がそうさせているのかもしれません・・・」

壺井は立ち止まり、キャビネットの引きだしのカードをる。ややあって、目的のカードを取り出す。カードといっても、紙製ではなく、薄い金属のようなプレートが樹脂で鋳込められている。ICチップのような意匠ではない。

カードには、"Fey Hew"とだけ記されている。そして、すみには薄いブルーで"The Vehicle Inc."とある。どういう機構になっているのかは、見ただけではわからないが、ともかくそれが記憶を格納したメディアであるようだ。

「では、フェイ、こちらへ」明り取りの窓から射す光が強くなった。

壺井はFHへカードを渡す。そして、FHがそれを僕へ渡した。立ったままの彼らの頭上から、光が降り注ぐ。

「これで、フェイの記憶へアクセスするための権利があなたへ信託された」

壺井はまるで聖職者のように僕らに両手をかざし、微笑む。この世に思い煩うことなどかけらもないような気配が、こまかな量子となって三人を覆い尽くす。

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