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THE CHATSUBO PEOPLE

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Chatsuboに出入りする、都市遊泳者たちのつぶやき。街のあちこちで、彼らの眼が風景を鮮やかに切り取る。敷衍された《俳句》としての、140文字のつぶやき、ともう少し長いスケッチ。
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#小説

千葉雅也のように、無意識で、無意識を、書く。

千葉雅也が「無意識で書く」ことについて記事を書いている。 ここでの「無意識で」というのは、「万年筆で」とか、「ポメラで」とか、そういうツールを指しているように響く。おもしろい。 「ヒプノティックにトランスした状態になって書く」というのとは多分、違う。 千葉は次のように書いている。 このパラグラフにはとても励まされた! どうしてかと言うと、ちょうど昨日、わたしもそのようなことを念頭において小説の1シーンを書いたからだ。 作家であるFHという人物が、他者に自分の無意識領域

アルジズと夢女子

アルジズです。文芸エージェントの仕事をしていて思うのは、物語を書くことのパワーがどれくらい人を元気づけるか、計り知れないということ。 今はアラサーの女性たち。15年前に中学生で、だから2008年とかで、その頃インターネットで夢小説サイトを立ち上げ、自分で夢小説をばんばん書いていた、という彼女たちの武勇伝がすきだ。 書くことが面白くて、ずっと続けている人もいるのだろうが、いったんやめていた人が何かのきっかけでまた書き始めるというストーリーが特にすきだ。 書くのを止めていた

もしかして自分は小説のことをものすごく勘違いしているかもしれない。ここへきてそんな気がしてきた。世間の人は、芥川賞の候補作をすべて読み、感想を書いたりできるのだ。あの、一つ一つが生々しく、わたしとは全く別様な小説世界を、辛抱強く渉猟できるのだ。どうすれば辛抱強くなれるだろう?

「うわ、すっげー月がきれ~!」アルジズがつぶやく。彼女の前を、野球帽をかぶった男の子が、ゆるっとしたジーンズとスニーカーという格好で歩いていく。リラックスした顔つき。アルジズに向かって親指を立てて見せる。彼にとって知り尽くした界隈、テリトリー。今日も機嫌よく流しているのだろう。