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誰でも夢は見るけれど。

読書録 「猿の見る夢」 桐野 夏生著

「成功者」とは、どのような人間を指すのだろうか。
私がちょうど、生ぬるい学生生活を終えて「社会という荒波」に漕ぎ出し……いや、突き落とされた頃は、世間でいうところの就職氷河期だった。新人採用の市場は、文字通り冷え切っていた。
ゆえに、「正社員雇用」というだけでちょっと特別だったし、「買い叩かれる」ことにも鈍感になってしまった。時代が生んだ弊害なんだと思う。
それが、いわゆる高度経済成長期に社会に出た人たちと、大きな感覚のズレを作っていると、未だに思う。
とある上司は言った。「昔は買ってでも苦労をしたもんだ」「君たちの世代は努力を惜しむね」等々。
毎日、大した仕事もしない中ふんぞり返ってるくせに、肩書だけはちゃっかりあるから「私より良い給料もらってんだろうな、クッソー」と思う人間に、私も少なからず出会ってきた。

桐野夏生女史の物語は、いろんな意味で人間を残酷なまでに裸にするような作品が多い。曰く、中年男性の末路を描いたという本作はいったいどんな内容だろう? ちょっとドキドキしながらページを開く。

主人公の薄井は、銀行勤務からアパレル会社に出向し、会長からも目をかけられていると自覚している、とある会社員。そろそろ定年が見えて来て、「セカンドライフ」なるものを画策している。

史代という妻がいるが、十年以上続いている不倫相手の「みゆたん」を相手にして、「俺もまだまだイケるな」とのたまう。社長秘書の若い娘の肌の露出具合をみてその気を出したりと、品がない。

そんな薄井は、会長直々にとあるトラブルの解決を依頼される。内容は不祥事のもみ消し。引き受けたことで得られる利を考え、重々しく引き受けることに。(しかし引っ掻き回しているだけで解決そのものには至らない。)しかし本人は仕事をした気満々で、見返りを期待しちゃっている。絵に描いたような、偉ぶっているが小人物。

薄井は老後に、二世帯住宅を建てて悠々自適と暮らす。息子を呼び寄せてやってもいい。それで世話もしてもらえたら一石二鳥。

それを絶対にやってくる未来と信じて疑わない薄井の前に、長峰という占い師が現れる。夢で宣託する長峰の言葉に翻弄される、薄井。そこから彼の未来は暗雲どころか雷鳴轟く土砂降りへと様相を変えていく。

ところで、「女性から見た男性像」は、少し美化されがちなのかな、と思う。
余程でない限り、ちょっとフォローしてその人となりを見る、という習慣が私達にはある。
しかし。薄井には、「フォローの余地なし」なのだ。
駄目で馬鹿で女たらし、小心者で金にはがめつい。どこをフォローしろというのだ。
しかし、人間たるもの、なにかを掻き立てるのは「欲」だったりする。

人より良い生活をしたい/あいつよりはいい肩書を持つぞ/若い女にもてたい、等々。

その欲が人一倍強く、それを外に出すことが恥ずかしいことだと思っている(けど、おそらくバレバレ)薄井は、もしかすると誰よりも人間臭いのかもしれない。
薄井の欲深さは、浅はかなのだ。ゆえに、馬鹿に見える。時に、哀れに見えるくらい。
しかし、人間一皮剥くと、多かれ少なかれ「欲」が顔を出す。
それを「成り上がりの成功者」と見るのか、「腰巾着の出世欲」とでは、全然違う。

真面目に生きてる人からすると、薄井は反面教師だ。しかし、何でも手に入る環境や、足の引っ張り合いで出世ロードを競争してきた(?)高度経済成長期の遺物たちは、薄井みたいなことを考えながらあくせく生きているのかもしれない。
そんなこと考えながら、この作品を読んでいる間、気が付けば「ぐひひひ」といやらしい笑いを浮かべながら読んでいた。下品さは、薄井と五十歩百歩か。
他人の不幸は蜜の味、ともいうが、いやはや。

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