ケケケのトシロー 15
(本文約2300文字)
キダローはカズを呼び戻したあと、またゴソゴソと長持の中を探り、ほぼ薄茶色に変色している『さらし』を一反取り出した。端部を掴んで部屋の隅からボウリングの球を投げるようにして放ると、それは玄関まで道を作るように伸びた。
「何を始めるんです?」俺の問いにキダローは答えず、持っていたさらしの端を錫杖に結びつけた。
「お前ら、真ん中へ来い」キダローが俺とカズを部屋の中央部に集める。キダローも部屋の中央にくると呪文を唱え始める。
「オンアリキャ…… ソワカ…… アキャシャ……」
そしてキダローは、さらしを括り付けた錫杖を大きく円弧を描くように振り回す。俺とカズは錫杖で頭を殴られるのかと頭を抱えしゃがみ込んだ。
「危ない、危ない! キダローはん!」
俺の言う事は聞こえずか、キダローはどんどんとそのスピードを増してさらしのついた錫杖を振り回す。やがてさらしは空中でぴったりと真円を描ききる。さらしが作った円弧は錫杖から離れどんどんとその大きさを拡げ、やがて俺達を包み込む壁のようになり、元にいた部屋の様子はまるで見えなくなっていく。
「カアッーーーー!」
キダローが気合と共に錫杖を回すのをやめ、床に錫杖を突きさすようにたてる。ドンと言う大きな音に、俺はさらに身を低くしてきつく目を閉じた。
恐る恐る目をあける。辺りは昼間のはずなのに薄暗い。巨大な樹々が周りを囲み、まるで生き物の気配がしない。空気が冷たく鼻を刺す。どこかの山中のようだが、俺の知る風景でこんなに深く重い感じのするところはなかった。
「ど、どこですのここ?」同じように周りを見るカズが言う。
「わからん。キダローはんに聞いてくれ」俺も突然に現れた周りの風景に唖然としたままだった。
「さ、いこか」
さらしを巻き取ったキダローは錫杖を杖とし、歩き始める。
しゃくっ、しゃくっと杖をつく度に環が鳴る。そしてその音を合図とするように薄暗い森林のなかに石灯籠の光が順序良く灯り、それに照らされて石畳の道が現れていく。
とりあえず俺とカズはキダローの後に続く。それしかない。こんなところに置いていかれたら、俺とカズはちびるどころでは済まないだろう。
順に灯されていく石灯籠の明かりが照らす道の先に結構な構えの寺社のような建物が現れた。香の匂いが結界を張っているかのように漂っている。キダローはかなり分厚い段木※₁の階段を駆け上がり、向拝※₂の下で締め切られた板戸に向かい、錫杖をしゃくっと鳴らし仁王立ちとなった。待ち構えたように板戸が音も無く両側へ開く。中は沢山の蝋燭で照らされた間となっているようだ。
「お前らも上がってきてええで」キダローが振り向いて声を掛ける。
「わ、わしはええかな~」カズが少し後ずさりをした。
「カズ君、ここは行ったほうがええで。外で一人で待つのはちょっとヤバイ雰囲気やし」
「え、え~、おやっさん。中のほうがヤバいのとちゃいますの」
「ま、それも言えてるかもやけど…… 一人じゃない方がええような……」
俺とカズが渋っているとキダローが「はよ上がってこんかい!」と一喝する。
「「ハイ」」と二人は段木を駆け上がった。
広縁の部分に立つ三人の前に拡がる堂の中は、蝋燭で照らされている広い板間の空間だった。三人は靴を脱ぎ、中へ入っていく。よく見ると正面の奥に2メートルはあろうかと思われるなにかの立像があり、少々の供物があった。像の前には護摩壇※₃があるが今は焚かれてはいない。
「ようおこし、キダローさん ケケケ」いきなり背後から女性の声がし、キダローはゆっくりと振りかえった。
「庵主、新人つれてきたで ケケケ」
なんやねん、ふたりともケケケ、ケケケ言いよってからに。俺も振り返りキダローが庵主と呼んだ人物の顔を見た。あれ、どっかで見た事あるような気が…… うわ、まさか?
「あの! あなた! 作家の『瀬戸内海小豆』先生ちゃいますの?! え、あの、まさか? 三年前に出家されたとか言ってましたけど……」
「いや~、この人、わたしの事をご存じなの? ケケケ」
瀬戸内海先生は可愛らしい声でそう言うが、あとに続くケケケは余分だ。
「誰ですの? このおばはん」カズは鼻をほじりながら俺に訊く。こいつまだ懲りてないのかと思いつつ『お前、失礼な事言うな』とカズを睨んだ。
「こちらはな、有名な女流作家で今は出家されて尼僧になってはるねん。カズ君は本、読んだことないんかいな」
「いや、そやから、わし、本なんか読まへんて……」
カズはそう言ってまた鼻くそを無意識にぴっとやってしまった。キダローが錫杖を振ろうとする、俺が『あっ』と言うよりも前に、瀬戸内海先生はカズの懐へ音よりも早く飛び込み、ジャージの襟元と腕を掴んだ瞬間、カズの身体は大きく弧を描き広間の床に叩きつけられた。
ぐえっと言ったあと悶絶するカズの姿を見下ろした瀬戸内海先生は『いや~ん、行儀悪い子やね~ ケケケ』と笑った。
「相変わらずええ腕してるな~ ケケケ」キダローも笑う。笑えんのは俺と悶絶しているカズの二人。
「ああ、新人はこれとちゃうで、こっちやで」キダローが錫杖の先で俺を指す。
「分かってますよ、それくらい。いや~、でもあなた。若い時はそれなりにイイ男だったんじゃない? ケケケ 私も30年若かったらね~ ケケケ」
「そういうところも相変わらずやの~ ケケケ」
「あら、キダローさんも勿論、良かったわよ~ ケケケケケケケ」
「ああ、良かったやろ~ ケケケケケケケ」
何と言うことを…… ケケケとは笑えない俺、この状況、どうすんねん!
16へ続く
注 あくまでもこの作品はフィクションです。
※₁ 段木(だんぎ)=寺社建築などに見られる厚い無垢板でできた階段の踏み板のこと。その厚みがそのまま階段の蹴上の高さとなる。
※₂ 向拝(こうはい)=参拝人の礼拝のために、仏堂や社殿の正面の中央に張り出して設けた庇のこと。
※₃ 護摩壇(ごまだん)=護摩を焚く炉を据える壇のこと。護摩は主に密教において行われる火を用いる修行(儀式)の一つ。
エンディング曲
Nakamura Emi 「大人の言うことを聞け」
ケケケのトシロー 1 ケケケのトシロー11
ケケケのトシロー 2 ケケケのトシロー12
ケケケのトシロー 3 ケケケのトシロー13
ケケケのトシロー 4 ケケケのトシロー14
ケケケのトシロー 5
ケケケのトシロー 6
ケケケのトシロー 7
ケケケのトシロー 8
ケケケのトシロー 9
ケケケのトシロー 10
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