もしかして旦那はASD受動型?
結婚して16年。
子供を産んで、私が仕事に復帰してから、旦那との会話はほぼない。
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話さなくなったきっかけは、私が2人目の子供を産み、仕事に復帰してから。
それまでは、穏やかで優しい夫との時間を大切にし、仕事の愚痴はこぼしても、夫へ何か弱音をはいたり助けを求めるということはなかった。
どちらかというと私の意思が強く、旅行なども私が夫を連れまわし、それに付き合ってくれてて、楽しい経験を積み重ねていた。
しかし初めての仕事と育児の両立。しかも15年前。職場の理解もほぼない。
「忙しすぎる!助けて!」と悲鳴をあげる度に
「俺だってやってんだよ!」というやりとりが、何度も続いた。
今思えば、別に解決策を求めていたわけではない。
ちょっとした、労いの言葉とか、一緒に解決策を探してくれる姿勢とか、そう、つまりは「共感してくれる」のを求めていたのだと思う。それが、ことごとく裏切られ、いつしかそういった感情は求めなくなり、私から旦那へ話かけることはなくなっていった。
そして、今に至るまで、旦那の態度は一貫している。
「公私ともに忙しく病気になりそう!助けて!」
「俺だってやってるんだよ!俺が何もやってないとでも言うわけ?」
「辛すぎてカウンセリングに通っている程なの。」
「俺だって金があればカウンセリング通いたいよ!」
「一番辛い時寄り添って欲しかった。」
「共感やいたわりの気持ちは当然あった。でも、自分も焦っていて余裕なく寄り添えなかったのはあると思う。」
「俺だって」「俺だって」…
そして、助けを求めることもなくなっていた。
心身ともに完全なるワンオペである。
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カウンセリングにかかったこともあるが、穏やかな口調のカウンセラーの診断は、私を窘めるものだったように感じた。
私「主体性がなくいつも私から誘うばかりで寂しいんです。なんだかいつも私がおもてなししているみたいで…。」
カウンセラー「主体性って、まるで仕事みたいですね。仕事と家は違いますよ。」
私「なんでも真似されているように感じて気持ち悪いんです。口調とか行動とか。」
カウンセラー「それは心理学用語ではミラーリングっていうんですよ。旦那さんはあなたのことが大好きなんですね。心配ないですよ。」
私「いや、私だけでなく、たぶん無意識だと思うんですけど、他の人の真似もしているんです。」
カウンセラー「なるほど、それは旦那さんの処世術のようなものなのかも知れませんね。」
私「ありのままの自分を認めてくれって言われて、何を言っても変わってくれる気がなくて。」
カウンセラー「それは旦那さんは”自己一致”していますね。あなたはどうですか?」
そうだよね、「相手は変わらない。自分が変わろう!」は心理学の常套句。
私が変わらねば…!でも…。
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確かに、ネットで「真似される_旦那」などで検索しても、出てくるのは「憧れの人を真似するのでしょう。」「好きな人の真似をするのでしょう」
「旦那さんは自分がないだけで、あなたをモデルにしてるんですね」といった好意的なものばかりだった。
でも、会話もないのに、行動を真似される。
自分からは話しかけてこないのに、たまに会話をすると同じことを繰り返される(オウム返し?)。
好意的なのだろうか。
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また、キャリアコンサルタント勉強の中で知った「アサーション」というテクニックも試してみたが、どうしてもうまくいかない。
「Win - Win」を試みるのだが、旦那は「俺を責めているだろう!」「自分だけがいいと言いたいんだろう!」(Lose-Win)と被害者意識が強く、「そんなことないよ。私だってよくないと思ってるよ。Rちゃんのママみたいにコミュニケーションとれたらいいと思ってるだけど…」と、共通の知り合いのRちゃんのママをひきあいに出すと「ああ、なるほどね。」と妙に納得した。そして私は自分の台詞に自分で傷つき(私はRちゃんのママよりも劣っているんだなあ。)、結局は「Lose-Lose」のコミュニケーションに終わってしまい、さらに自分のコミュニケーション能力の低さを実感していた。
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昔、ママ友に愚痴ってしまったことがある。
その時の反応は「何言ってるの、あんないい旦那さんいないよ!」だった。
確かに旦那は人当りがよく、自分から何をすることはないが、誘われれば必ずといっていい程引き受け、会話も感じよく聞き役に徹している。
大人しくて優しいパパ、それがまわりからみた共通認識だ。
やっぱり原因は私なんだ。
コミュニケーションが下手なんだ。
というか、いわゆる「旦那に相手にされない女房」ってやつ?
そこから誰にも打ち明けられなくなっていた。
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そんな旦那が年明け、珍しく自分から話しかけてきた。
「独立したい」というのだ。(理由は「自己肯定感回復」とのこと)
詳細は省くが、久しぶりに内容のあるそのやりとりの中でどうしても会話が噛み合わない。時間を置く度に「よし、このモヤモヤする部分を答えてもらったら一緒に頑張ろう!」と思ってラインをしたり質問をするのだが、その返答がくる度に虚しさを感じる。
例えば、私の仕事について。
夫「仕事はお小遣い稼ぎ程度にしたいんでしょ。」
私「(ん?日々の光熱費や生活費、子供達の習い事の費用等々も出しているけど?)お小遣い稼ぎって?」
夫「コンサートの追っかけとか個人的な趣味のことです。」
私「(??コンサートの追っかけ??人並みに推しはいるけど追っかけはしたことない)追っかけって何?しかもこの状況で?」
夫「Aちゃんのママやうちの会社の経理の人のイメージで例を出しました。」
私「??Aちゃんのママって追っかけなの?聞いたことないけど。(ていうか、だから何?Aちゃんのママ、、、何年も会ってないけど。Aちゃんのママとか経理の人の趣味って、今課題になっている、うちの家の家計に関係あるのかな?)」
ちょっと、何の話をしているのかわからない。
例えば、私の趣味を引き合いに出されれば、趣味にお金を使い過ぎって言いたいんだろうと思うのだが。うーん?
…もやもや。なんだかすごい怒りと寂しさを感じた。
「独立するから一緒に頑張っていきたい」ということだったのだが、それに外れた文脈の読めないことや、表現力の無さにがっかりしていた。
しかし、私が感じるその怒りと寂しさの原因が自分を見てくれていないことだということに気付いた。
あ、私のこと全然見ていないんだな。日々私が何を個人の趣味としてやっているのか。例えば、毎日リビングに活けているお花に対して「金遣いが荒い」等と責められるのであれば、<私>に対峙しているという感覚を持てると思うのだが、それが、追っかけ…?
私を見ていないことに、怒りと寂しさを感じた。
私「(知っていたと思うけど)私の個人的な日常的な趣味はお花とヨガなど、ここのところは受験やこの状況で出来ていないけど、家族での趣味はキャンプと旅行。私と話しているのに、なぜAちゃんのママや経理の方の”追っかけ”が話に出てきたのかとても疑問なんだけど…。」
夫「個人の一般的な趣味の例として出しました」
私「(なぜ私の趣味をわざわざ伝えているのに一般的な例?)誰と話しているの?Aちゃんのママ?どこの家の話?それともこの家でこれから追っかけにお金がかかる可能性があるということ?」
夫「私は、仕事や仲間と共通認識が得られない時に、一般的な例を出すことがよくあります。気分を害されたのであればすみません。」
私「(ここで、怒りに代わって寂しさが募る)仕事や仲間と話しているんですか…。私と話しているのではないんですね。」
そのまま、スルーされたまま、今に至る。
私は、私を見て貰っている実感が、私に対峙してもらっている実感が、ない。
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そこで、「話が噛み合わない_旦那」で検索をしてみると、今までヒットしなかったワードと出会った。
アスペルガー/ASD、その中でも受動型である。
最初にヒットしたその掲示板には私と同じように旦那さんと話しが合わずに苦しんでいる人たちの意見が述べられていた。
その中で「うちの旦那、絶対アスペルガー!」「それはASDだね。」といった言葉が出てきた。
キャリアコンサルタントの勉強をした際に、もちろん発達障害の勉強もした。しかし、教科書で読むものと、こうして実体験に照らしあわせるのは違うものだ。
なんと、これら全てが大きくあてはまる!
上記のことは私が旦那に対してイライラしたり嫌悪感をもったり、そして時には寂しさを感じていた要因なのであるが、それが、すべてASD受動型の特徴だったのだ。脳機能の障害で、彼のせいではなかったのだ!
私は、常に正反対のことを求めていたのか…。
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このことを知って。
私はとても楽になった!
「相手は変わらない。自分が変わろう!」
確かにその通り。その言葉どおり、独りもがいてきた。
しかし、やり方が違ったんだ!
相手がもしASD受動型(診断はされていないが、)ならば、今まで試してきたコミュニケーション方法はお互いにとって酷なだけだ。
・ASD受動型にあった他のコミュニケーションを模索し試してみよう!
・相手に「主体性」「積極性」「受容」「共感性」「労わり」は求めない!
・言葉の裏や行動から「察する」ということは求めない!
伴い、私は軽いカサンドラ症候群でもあったようだが、まず、夫がASD受動型なのではないか、と気づけたことで、心が軽くなった!
<自己評価の回復>
・私のコミュニケーション能力が低かったわけではない!
・私が「旦那に相手にされない淋しい女」なのではない!
<価値観の変化>
・共感は、家の中の夫にではなく、他のコミュニティに求めてもいい!
・夫なしで楽しむことに罪悪感を感じなくてもいい!
もしかして、夫自身をみていなかったのは、私の方かも知れない。
自分の父や周りの人とは違う。彼自身の特徴を、今一度冷静に見つめ直してみよう。だって、周囲の評判どおり、子供達にとっては「大人しくて優しくていいパパ」なのだ。
そして、それには私にも覚悟が必要だ。
・共感や労りを得られない、さびしさを抱えていく覚悟
・私が主体的に家を運用していく覚悟
・私がむしろ主軸となって確実な仕事で稼ぎ続けていく覚悟
思い描いていた家族像とは違う。
あー、、私、そんなタイプじゃないんだけどなあ。
いつもお父さんに可愛がられている穏やかで優しい、おっとりしたお母さんみたいになる予定だったんだけどなあ。
なんて、自己イメージも塗り替えよう!
もう少し試してみよう。もう少し続けてみよう。
ある記事では、ASD夫とカサンドラ妻の離婚率は80%というものもあった。夫がASD受動型の傾向があるのでは、と気付くまでは、私も、もうダメだと思っていた。でも、脳の障害ならば、受け容れるしか、ない。
急いで結論を出す前に、まずは、試してみよう。
ASD受動型に対しての、違ったコミュニケーションを。
もしかしたらまた失敗して傷つくかも知れない。
また疲れるかも知れない。
今も将来的にも夫婦二人で仲良くお出かけ、なんて気にもなれないし、そういうかたちもあっていいのではないか、と思ってる。
でも、改めて、うちならではの形を模索していくしかない。
…何の為に?何の為なんだろう。今はわからない。けど。
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とにかくまだスタート地点にたったばかり。
でもまずは、(きっと)ASD受動型の夫と、会話もなく、ラインの返信もなく、でも、ひとり自分が作った理想像を求めてもがいてきた今日までの私を抱きしめたい。
おつかれ私!
誰もみてくれなくても、誰も褒めてくれなくても、誰からの共感も得られなくても。私はよくやってるよ。