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カムカムと私と母と。その2

11月12日に切迫早産診断のため実家に予定より1ヶ月早く帰省した私。
12日金曜日に旦那さんに連れられ帰省し、その日は3人で夕方お茶なんかして
勤務先でいただいたお菓子を食べるなどした。
一応、こちらの出産予定の産院でも診察をしてもらって指示を仰いだ方が良くない?という母と旦那さんの勧めもあり、急遽17時ごろに予約を取り産院へ向った。

実家から車で15分、隣町にある産院はとてもきれいな病院だ。
8月のお盆帰省の時に突然出血してしまった時に急遽診察してもらった(本当に思い返すとハプニングだらけの妊娠期間だったな…)時にここで産みたいと決めた病院だった。新しく施設が綺麗で、何より先生や看護師の方がとても気さくでいい人たちだった。8月の診察後にここで里帰り出産したいと思い診察の最後にその旨を伝えたら「いいよ、もちろん。うちはこの日までに予約が絶対必要とか人数の制限もしてないし!でも気が変わったりしたらいつでも産むところ変えてもいいからね!」と院長先生から言われた。検診に通っていた産院は、ここで産んでほしいというオーラが看護師さんや助産師さんたちから出まくっていたので余計にびっくりした。里帰り出産したいと言ったら助産師さんとの面談で、「考え直そう」と言われたりした。

そして約3ヶ月ぶりの診察。今回は副院長先生だった。「そうだね、前の病院で診断された通り子宮頸管が短いね。でも入院したりする程ではないので実家でゆっくり過ごしてください。また定期検診で様子見ていきましょう。」とのこと。とりあえずホッとして、実家へ帰宅。

翌日からの土日は旦那さんも実家に滞在し、うちの父と釣りに行ったりしていた。そんなこんなでただ週末に実家に遊びに来たような感覚。
日曜日の夕方に旦那さんは自宅に戻るため、車で帰るのを見送る。自分だけ実家にいて旦那さんは帰宅してしまう…「あぁそうか、しばらく離れ離れなんだな。」とようやくこの辺りから自分の生活の変化が実感されて寂しくなった。

そして翌日からいよいよ始まるカムカムと母との日々。(ここまで長かったかな)
翌朝月曜日に起床、これまでの習慣で6時前には目が覚めてリビングへ降りた。
父は仕事の準備、母は新聞を読んだりしている実家の朝。
父と母は教員である。私が幼い頃から毎日働きづめで、土日だろうが夏休みだろうが自宅でゆっくりしている二人をあまり見たことがない。授業に部活に365日本当に忙しくしていた。そんな中、10月に母が悪性腫瘍のため手術を受けた。夏ごろから下腹部に違和感があったらしく産婦人科を受診。卵巣に腫瘍があるので精密検査を大きい病院でした方がいいとのことで検査した結果、おそらく悪性ではないだろうけど大きいのでとっておいた方がいいとのことで、手術に至った。元気と健康が自慢の母だったので私たち家族にとっては本当に心配な出来事だった。術後ということもありしばらく仕事を休むことになっていた母。12月より復帰の予定だった。

「ねぇ、朝ドラ面白いよめいも見てみなよ。」
母は朝ドラを見るのが最近の習慣になったらしい。ちょうどNHKの朝ドラが10月から新しい作品がスタートしていた。母が仕事を休み始めて家にいるようになってから同じタイミングで始まったのだ。
「Twitterのトレンドで見たかも、カムカムエブリバディだっけ。変な名前、本当に面白いと〜?」って半信半疑だったと思う。テレビの前で見る母をその後ろのソファで横になりながら流し見していた。
ちょうど安子編の序盤でヒロインの安子と稔さんの恋の行方がどうなるのか、というところだった。毎日母が見るので私も仕方なく見ていた。「勇ちゃんとくっついた方が良くない?」「稔のお母さんこわ〜」とか色々観ながら(やじりながら?)喋って観ていた。そして毎日観ているうちに少しずつ次の日のカムカムが気になるようになっていた。
父が夜帰ってきて夜ご飯を一緒に食べる時に必ず録画していたカムカムを3人で観た。「おとう、今日のはやばいよ。」「今から見逃したらいかんよ、離席禁止ね。」とか、既に朝と昼二回観ている私と母からのいらん忠告やら感想やらを言われながら、父なりに毎日観ていた(笑)

私の突然の帰省からちょうど1週間。母の術後の受診日がやってきた。この日を無事に乗り越えられたらようやく母の快気祝いかな、という感じだった。母の病院への出発は早く、カムカムはこの日は一緒に見れない。早く家を出る母を見送り、私はカムカムを見て掃除して洗濯をした。お昼頃に帰ってくると母から連絡があったのでそれを待っていた。
昼前に母が帰宅。「抗がん剤治療だって〜。」サラッとリビングのドアを開けて帰ってきた母は言った。え?あまりにもサラッというもんだから私は寝転がっていたソファから飛び起きて驚いた。
私「抗がん剤治療ってあの抗がん剤?髪の毛抜けたりするよね?」
母「うん。そうだよ。抜けるみたいだね。」
私「え。どれくらいの期間するの?いつ抜けるの?」
母「半年くらいかな?髪の毛はしばらくしてからじゃない?」
といった感じで母は思いのほか冷静だし元気だった。お昼どうする〜何食べる〜?今日のカムカムどうやった〜?ってカバンとか片付けながら言ってるような感じで、こっちが逆に緊張する。
変に神妙な雰囲気になっても、なんだか嫌で私もいつも通り過ごした。父には電話で話していたようで帰ってきた父もいつも通りだった。


その日は「ほぼ皆既」月食の日だった。
夕方母と一緒に夜の買い物に行き、スーパーの駐車場から月食を見た。
車の中から、帰り道ずっと月を見ていた。
なんて事ないかのようにその日は近くに住んでいる従姉妹を招いてみんなで夜ご飯を食べて、いつも以上に賑やかに過ごした。


手術で腫瘍を摘出する際に他に飛散(この表現が的確なのか分からない)している可能性もあるので予防的措置として治療を行うらしい。本当はかなり進行が進んでいてそれを私に隠しているとかだったら絶対に嫌なので、ちゃんと病院でもらった説明書や診断書をきちんと見て確認した。保険の請求手続きを自分でできないという母に代わって私が手続きしたので、病院関係の書類は全部見せてもらったので間違いない、ステージも1だったので不幸中の幸いなのかもしれない。

それでも怖かった。

いつも元気で明るい母ががんだなんで、今から治療をして髪が無くなるなんて
これまでずっと仕事のために自分の時間を割いてきた母が、がんだなんて、そんな不公平なことある?
日中母と一緒にいる時はいつも通り元気にしていたけれど夜眠る時、怖くて何度も泣いた。母が元気だから私が泣いたり過度に怖がったりすることは母に対して失礼なのかもしれないけど怖かった。隣の部屋で両親が寝ているので鼻水を啜る音が聞こえていないかすごく不安だった。泣きすぎて朝目が腫れていることもあった、その時はメガネをかけて誤魔化したりしていた。

そういうわけで12月までの予定だった母の休みはしばらく延びることとなった。
休み当初は、カムカムは最後まで観れないから12月以降はお父さんと同じく録画で見ることになるねと言っていたけど、しばらくは一緒に観れることとなりそうだ。


そしてカムカムの時代は、戦時中の話へと移り変わっていった。


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