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中二の息子くんと年長さんの娘ちゃんがいます。

日本の名づけは人とかぶらないようにつけるから、どんどんすごい名前がうまれてると読みましたけれど、うちの子たちの名前もほかで見たことがありません。
息子くんは大きな透明の石(水晶)、娘ちゃんは夏の花がたくさん、という意味です。

日本は「出る杭は打たれる」、人と同じように”普通”であることが望ましいという雰囲気からなかなか抜けられないですが、今、こどもたちは人と違うように名付けられる。
これ、面白い。
きっと、今、親になっている人たちは、わかってきている。

実はわたし、こどもは苦手でした。
妹という立場で身近にいなかったのでどう接していいかわからなかったのと、自分がかわいいこどもらしさを備えていなかったので。

結婚して、8年後に息子くんが生まれました。
大変失礼ながら、高齢出産枠に突入する時期にかかったのと、「結婚したら子どもは産むものだから」という既成概念、固定観念によるものでした。

長らく「そういうものだから」というのをなぞって生きてました。

なぜかって、、たぶん、わたしにとって人生はそういうものだったから、です。

もともとはなかなか変わり者の性質があって、小さい頃から自分の思いと世の中との違和感を感じていたのでは、、と思います。
処世術としての、自分の判断を入れない「そういうものだから」。

息子くんは赤ちゃんのとき寝ぐずりが激しく、抱っこしてゆすらないと寝ませんでした。
3600gで生まれて一か月検診で5500gまで育ったので丈夫でよかったけれど、重かったし、泣き声も大きかったです。
ベビーカー嫌いで常に抱っこ。
保育園の発表会、運動会では泣きながら先生に抱っこされて舞台にいる繊細さんタイプ。

自分が「いい子」であったことによる反動で、世間さまに恥ずかしくない子にしつけなければならない、というプレッシャーは人並み以下だったと思いますが、苦手な”こどもといういきもの”をこどもらしくのびのびと育てたいと願っていたので、わたしにとってとてもむつかしいチャレンジでした。
ついでに、夫は教員なので当たり前に「いい子」であるように育てようとしてましたし。

一人っ子でいいかなーと(男の子だと子育て大変で「一人っ子でいいか」と考えがちだよね、と話すケース多し)思っていたところ、5歳の息子くんから妹をオーダーされました。
「妹は”にぃに”って呼ぶんだよ」って。

3年の不妊治療を経て、超高齢で娘ちゃんが生まれました。

またも大変失礼ながら、息子くんに欲しいと言われたことと、流産の経験で子どもが産めない自分に納得がいかなかったのと、不妊治療を止めるという選択肢がなかったという理由で。

娘ちゃんも3600g生まれ。「いったぁーい」と叫んだ瞬間に生まれました。
聖路加で出産して、翌日に聖路加助産院へ移動したのは、息子くんがいつでも遊びに来られるようにするためでした。
(ちなみに体外受精のため助産院での出産は断られました)

「にぃに」と呼んでもらうつもりだった兄を継承なしの名前で呼び、自分が主役で当たり前を遠慮なく行使。
娘ちゃんは、ほんとうにこどもらしく育ってると思います。

白状すると、わたしは、絶対に自分の子どもが欲しい!と考えたことはなかったんです。
「そういうものだから」妊活をして、「そういうものだから」二人出産。

いつも、選択は「自分がそうしたいか?」ではなくて、「それが環境において望ましいか」という判断によるものでした。

そういえば、ホットヨガのイントラをしていますが、ホットヨガを始めたきっかけは、健康な子どもを産めるようにデトックスしなくてはと思ったから、です。

だから、かつては、こどもは育てるもの、であって、それ以上でもそれ以下でもなく。そんなもんかなぁと思ってました。

で、今。

やっと。

ヨガを続け、ボディートークに出逢い、ライティング・ライフ・プロジェクトに出逢い、50を目前にして、

あれ?自分のやってきたことは、結局、自分で選んできたことだったんじゃないの?と気づいて。

結局は自分がやりたいことをやってきたんだと、腑に落ちて。

自分が安定したら、子どもたちはほんとうにかわいいんです。

子どもたちは、ほんとうにかわいくて仕方なくて、ほんとうにわたしのもとに来てくれてありがとう、しかなくて。

愛おしい。

ほんとうに生まれてきてくれただけで、存在してくれるだけで、それでいい。

だから、親孝行なんて、要らないなーと、思います。

すべての、子どもはほんとうに宝もので、存在してくれているだけでいい。

生まれてきただけで、それで比類ない親孝行。

生まれてきただけで、宇宙にとって、親孝行。

みんな、かつては子どもでした。

大人になった人も、宇宙の時間軸においては、こども以外の何物ではないと思う。

なので、生きている人、みんな、こども。
だから、みんな生まれただけで親孝行な存在。

こどもには「自分の気分に忠実で、正直であってほしい」と願ってます。
こどもがこどもらしく、自分のことを信頼して、挑戦できるといいな、笑ったり泣いたり、たくさんの経験をしてほしいといつも思う。祈っている。

それが生まれた意味なんじゃないかなーと。

だから、すべての人たちに、背負ったりしないで、人の目を気にしないで、だれかの評価を気にしないで、自分らしく、自信をもって生きてほしいなって思います。

もう、存在だけで、親孝行だぜ!

だから、親の顔色なんて見なくていいし、親孝行なんて考えなくっていい。

と、思うのです。

あ、地球というお母さんの意向はわからないけれど、SDGsは意識します。
まずは、プラごみをちゃんと洗ってリサイクルするという小さなことからだけど。

***

自分らしさってなんだろ?とちょっとでも考えたことがある人にはほんとうにおすすめのプロジェクトです。(次回2022年12月 忙しいかな!?)

50歳まであと99日


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