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自分の人生の責任を親は取ってくれない~打算的に生きよう!~

こんにちは。ハッピーロータスです。
人生の後半戦に入り、これからどうやって生きていこうか
模索中。
自分が何を大切にしているのか、どんなことを思って生きているのかを
クリアな言葉にしたくて、色んな思いをここで
綴らせてもらっています。

今日は、鬱々とした重苦しい日々から、私がどうやって
抜け出ていったか、ということを綴りたいと思います。
簡単に抜け出せたわけではありません。
膨大な労力や時間を費やして、色んなことを考え、たくさん悩みながら
ここまでやってきました。
そのスタート地点にあった考えが、
「自分の人生の責任を親は取ってくれない」です。
当たり前といえば当たり前なんですが。
この考えが、ちょっとだけでも誰かの役に立ってくれたらいいなと
思います。

親からの抑圧の影響

「自己紹介」に書いたように、私の子ども時代は
母親の価値観に縛られ、恐怖でがんじがらめになっていました。
灰色の毎日、どんよりとした気持ちで過ごしました。

大学入学と同時に家を脱出し、物理的には家から離れることが
できましたが、その後に待ち受けていたのは、また別の葛藤でした。
浪人時代を含めた19年の間に刷り込まれた価値観は、
家を離れたからといって、私のこころの中からさっと取り除かれた
わけではありません。

親から縛られない独り暮らし、という意味では
めちゃくちゃ解放感がありました。
それでも、無意識に母親の価値観に縛られていましたし、
電話で話しただけで、同居していた頃の感覚に一瞬で連れ戻されるんです。
電話した後しばらくは、子ども時代のどんよりした感覚に戻ってしまい、
そこから抜け出すのにまた時間と労力を費やす。という繰り返しでした。
同じような経験のある方にとっては、あるある話じゃないでしょうか。

穴の中にとどまるのか抜け出すのか

阿部公房の「砂の女」って小説、読んだことありますか?
男性が、砂丘の砂に掘られた穴の中につかまってしまい、
押し寄せてくる砂を穴から掻き出す日々。
穴の底から何度も這い上がろうと試行錯誤しますが、・・・
(あとはネタバレするのでここまでで)

実家から抜け出た後も、この男性のように這い上がろうとしても穴に落ち、また這い上がろうとしてもずるずると穴の底に引き戻され・・・
という状況を、私は繰り返していました。

もう這い上がるのを諦めようかな~・・・その方が楽かな。
無力感にさいなまれ、どろどろと床と一体化するくらいに
疲れてしまうことも何度もありましたが、頭の一部分で、
ずっと重低音のように響き続けていた思いが、
何とか私を先に進ませました。

「何で私だけが損しないとダメなん?」
「人生が先に進んでいった時、『母親のせいでこんなことになった』って
言ったところで、母がその時私の人生の責任を取って、何とかしてくれる
わけじゃないよな」
「このまま母への文句ばっかり繰り返しながら、そんなことに
自分の人生の時間を消費していくなんて、絶対嫌だ!」

親は、「こうしないとダメよ」「こう生きないのはダメ人間」
「こんな生き方には価値がない」と、色々な価値観を押し付けてきます。
でもね。考えてみれば、親が色々言ってくることは、単に「親の意見」
なわけであって、子どもが全部それに従わないといけないわけじゃない。
親の価値観に私が従って生きた末に、「こんな人生嫌だった」って
思ったとしても、その段階で親が「嫌だったら何とかしてあげるよ」
ってなるわけないしね。

将来責任も取ってくれないのに、親の価値観に従っていった結果、
私の人生がダメになるなんて。
私だけ一方的に損じゃん!そんな人生嫌じゃ~!
って思ったんです。

打算で先に進めた

そうなんです。
私の中に、「私だけ損するなんて絶対嫌!」っていう打算的な思いが
強くありました。
「自分の人生が、こんなことでダメになるなんて、とにかく嫌だ!」
「自分の人生、うまくやっていきたい!」って思ったんですよね。

とはいえ、「うまくやる」っていうのは、社会的な基準で見たときの
「うまくやる」ではなく、私にとっては「自分のこころの問題を解消して
次に進む」(簡単に言えば、しんどい思いをして生きるのではなく、
自分が楽しんで生きられるようになる)という、心理的な基準で
見た時の話でしたが。

「文句をたれる」のではなく「思いを解消」していく

私の課題は、親子関係によって刷り込まれた価値観を、自分の中で
変換していくこと。そして、潰されていた自分の感覚を取り戻していく
作業でした。

その作業をしていく途上では、母親に対する文句ももちろん出ます。
(といっても、母に直接文句をぶつけることはありません。
良い事かどうか分かりませんが、これまで一度も母と喧嘩を
したことがないです。)

親世代から受けた嫌な事柄を紐解く作業は、ともすると
「そんな文句ばっかり言ってないで」「人のせいにしないで」
と言われかねませんが、「文句をたれる」のと「思いを解消する」
作業とは、似ているように見えて全くの別物です。

過去を紐解く中で、親からされたことへの怒りや悲しみ、反論など
色んな思いが出てきますが、それは自分の思いを受け入れ解消する
プロセスでは必要な作業です。だから、自分の中で親に対する思いを
しっかり感じ、腹が立ったことは腹が立ったと言っていいんです。
(相手にぶつけるのではなく、自分の中でね。)

でも、それは「そこにとどまる」ためにするのではなく、
「先に進むため」にする作業であったらいいなと思います。
自分が先に進むためにする作業。
「自分のためにする」って打算的ですが、別の言葉で言えば
「自分を大切にすること」。自分の人生を背負えるのは自分しかいない
んだから、当然のことですよね。

自分のために先に進もう

「子どものため」に良かれと思って、親世代が子どもに押し付けて
しまうものが時にあります。立場の弱い子どもは、それを跳ねのけられないことも多い。そして、そこから抜け出ようとするためには、膨大な時間と
労力がかかります。
とどまるのもしんどい。抜け出るのもしんどい。

でも、抜け出るための努力は、自分のためになります。
自分を大切にする行為です。打算的になって、自分のために生きよう。
親のためではなく、自分のために生きましょう。
親孝行は、その後で遅くありません。

ここまで読んで下さった人が、親からされてきたことで苦しんでいるなら、
「自分のため」にそこから抜け出して欲しいと思います。
それがあなたの権利です。応援しています!

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

おわり


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