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「ぼちぼちな」って言葉に救われた

こんにちは。ハッピーロータスです。
自分が何を大切にしているのか、
どんなことを思って生きているのかを
クリアな言葉にしたくて、色んな思いをここで
綴らせてもらっています。

今日は、抑圧されて暮らしていた小・中学生の頃に救われた
「ぼちぼちな」という言葉について綴りたいと思います。
この言葉は、大変な思いをされている方にとって
ほっと肩の力が抜ける言葉じゃないかと思います。
皆さんにとっての、ほっとできる言葉も教えてもらえたら嬉しいです。

母の恐怖政治

「自己紹介」記事にも書きましたが、私の子ども時代は灰色でした。
「勉強しなさい」と直截的に勉強を強要されたわけでは
ありませんでしたが、たくさんのルールに縛られていた私の
小・中学生時代は、両足に鉛の重りをつけてずるずる引き摺って歩くような
重苦しい日々でした。

気弱だった私は、母親の価値観の影響をもろに受けていたと思います。
「成績が悪かったら、人として生きていけない」
「恥ずかしくて外を歩けない」
母からの無言の圧力は私のこころに根づき、私は自分で自分を
追いつめていました。

今では、ごく親しい人に子どもの頃の話を「母の恐怖政治」と
銘打って、軽い感じで話すこともあります。
私の成績が良かったことを知っている人からは、
「どうやったら子どもが勉強するようになる?」と聞かれたりもしますが、
「私は恐怖政治で無理やり勉強してただけだし、
子どもが興味を持ったことを、自分から勉強するのが一番だと思うよ」
って答えています。
(質問してくれた人は、そんな答え求めてないんだろうなと思いつつ)

父からの「ぼちぼちな」で救われた

そんな、母の恐怖政治の中で押しつぶされそうになりながら
過ごしていた私の子ども時代。
何とか過ごすことができたのは、周囲からの助けがあったからだなあと
後から振り返って思います。
その一つが、父からの「ぼちぼちな」という言葉かけでした。

母の恐怖政治について、父が気づいていたのかどうか
どう考えていたのかは分かりません。
典型的な昭和の家庭で、父は働き、母は専業主婦。
母が家事育児、教育について一手に引き受ける、という状況だったため、
父は教育に口出ししなかったのかもしれません。

母の恐怖政治に萎縮していた私でしたが、
父は私に勉強しろとも、大学に行けとも言いませんでした。
そしてかけてくれた言葉は、「まあ、ぼちぼちな」でした。
父の口癖は、「ぼちぼちな」「ぼちぼちが、いいんだって」。
ちょっとはにかみながらそう言う父の言葉に、
私はいつも救われていました。

「成績が悪ければ、生きていけない」「人でなし」
と母から刷り込まれる一方で、
ぼちぼちやったらいいんや、ということを父が言ってくれたおかげで
私は何とかやってこれたのかもしれません。

「ぼちぼちな」と言う父の背景

父は何で「ぼちぼちな」って言ってくれたんだろう。
あの昭和の時代に、父が「ぼちぼちでいい」って言えたのは
凄いことだなあ、って思います。

父は、とても賢い人でしたが、裕福ではない家の次男に
生まれたこともあり、大学に通うことを諦めて就職しました。
(長男が大事にされる時代でしたよね。)
学歴がないせいで悔しい思いをしたこともあったようです。
愚痴を父からは聞いたことありませんが、母がそんなことを
言っていました。
父は独学で、その分野では神レベルと言われる最難関資格を
取得していましたが、それでも学歴にはかなわなかったようです。

昭和の時代。
「24時間、働けますか?ビジネスマーン!ビジネスマーン!」
というあのCMの流れていた時代に、父は定刻に帰宅し、
帰宅後に家庭菜園を耕し、夏には必ず休暇を取って家族旅行に
連れていってくれました。
母がいつも、「そんなに会社休んで大丈夫なの?」と心配していましたが、
父は「いいんだ、いいんだ」と気にもしません。
高卒の自分は、頑張っても出世競争に負ける、という諦観が
背景にはあったのかな、とも思いますが。それよりも
家族と過ごす時間を大事にしようという気持ちが強かったように
思います。

私は、父と一緒に畑仕事をするのが楽しくて、畑になっている
プチトマトをもいで食べたり、抜きたての人参を洗ってボリボリと
齧ったり。土のにおいがして、おいしかった!
(え?食べてただけやんって?(笑))
DIYが得意な父は(と言えば恰好いいですが、貧しい子ども時代を
過ごした父にとっては、何でも修繕したり、自分で作るのが当たり前)、
竹を切って竹馬を作ってくれたり、家の壁に棚を作ってくれたり。
お正月の準備で、藁をない、半紙でこよりを作って正月飾りを仕立てたり、藁で草履を作ったりもしていました。
そんなことを手伝うのも、私にとってはとても楽しい時間でした。

父が大事にしていたこと

父は、大学に進学できなかったことで、
悔しい思いをしたのかもしれません。
あの、画一的な価値観の強かった昭和の時代、
学歴というものは一定の力を持っていたと思います。

でも、そんな父から私はたくさん、良い体験をもらいました。
大事なことは何か、ってことを体験として伝えてもらっていた気がします。
自分には学歴がなくて悔しい思いをしたから、
子どもには学歴をつけさせたい。
そう思って子どもを叱咤激励してもおかしくないはずなのに、
父はそうではなく、私が勉強していると「ぼちぼちな」と
声をかけてくれました。しんどそうに見えたのかなあ?

今度は私が「ぼちぼちな」って言う番

現在カウンセラーをしている私は、
頑張り過ぎてるな~、肩ひじ張って疲れてるやろな~と感じる
クライエントさんに、帰り際「まあ、ぼちぼちね」と
声をかけることがあります。

だいたい、くすっと笑われます。
「ぼちぼち。ですね」と、ちょっと笑顔になります。
そんな時、ああいい言葉だなあって改めて思います。
「ぼちぼち」って言葉、口にしたり聞いたりしたら、
ちょっと力が抜けませんか?
疲れてしまっている人、自分で自分に「ぼちぼちな」って
言ってあげて欲しいなって思います。周りに疲れてる人がいたら、
「ぼちぼちね~」って声をかけてあげて欲しいなって思います。

皆さん、ぼちぼちね~。
ぼちぼちで、いいんだって!
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

おわり

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