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湯けむり夢子はお湯の中 #18 亀の湯のビリーより
「夢子も薫子も、来たなら連絡くれよ。銀次、すぐメッセージで知らせてくれりゃあいいだろう?なんでポストイットにメモ書きなんだよ」
「だって、大将が前におっしゃったんですよ?スマホへのメッセージは煩わしいから、用件は口頭で伝えるかメモ貼っとけって!」
「それはな、この銭湯で仕事している間の話であって、スマホじゃなくちゃんと面と向かってやりとりしようなって意味だ。俺が外にいるときにどうしてメモ書きなんだよ」
「だって、大将、ラーメンだからすぐ帰って来ると思ってたんですもん……」
そう言って助けを求めるようにこちらを見るバイトの銀次くんことお銀ちゃん。まあまあまあ…と拓ちゃんを宥めます。
「私もここに着いてすぐお風呂入っちゃったの。それから偶然、薫子さんとゆず湯で再会して、思い出話に花が咲いてね……」
「そうなのよ。拓哉くんの話題も出たのにね。すっかりふたりで盛り上がっちゃったのよね。何せ、夢子ちゃんと会うの十年ぶりだったんですもの!」
「そう。拓ちゃんは五年前薫子さんと会えたけど、私は十年ぶりだったのよ?拓ちゃんラーメン屋さんから一向に帰って来ないし。可哀想に、訳もわからずに叱られたお銀ちゃんが気の毒だわ。ごめんね」
「夢子さん、謝らないでください。誰も悪くないっす。しいて言うなら、ラーメン食べたあと路上ライブに飛び入り参加していた大将がいけないんですから」
「いや、ビートルズなら俺も弾けるから、頼まれて3曲ほど……って、休憩時間内だし文句ないだろ!」
♨️
こんばんは、湯川夢子です。引き続きビリーの湯からお届けしております。
かつて、日本の古き良き銭湯の趣を残していた亀の湯を、三代目拓ちゃんが継いだ際、大改造したのが現在のビリーの湯です。
各地の湯めぐりをライフワークとしている私にとって、ここはホームであり、何なら自宅のお風呂より心安らぐ場所でもあります。
子どもの頃から通っていますので、拓ちゃんとはまるで兄妹のような幼馴染み同士でした。そこへ薫子さんが加わってからは、逆ドリカム幼馴染みトリオと周囲の人たちに認識されていたとかいないとか。
大人になってからもここへは週二回のペースで通っていたので、こんな何ヵ月も顔を見せないことは今までなかったのです。
というのも、和真さん(私とは恋人未満だった)と元カノさんが一緒にいるのを目撃したのが、ここビリーの湯でした。そのあと彼との別れも経験し、傷心の夢子はしばらく半隠遁の日々を送っておりました。
おかげさまで、今はだいぶ吹っ切れましたが。
♨️
「ああ、わかったよ。俺が悪かった。銀次はもうあがる時間だし、黒玉子もらって気をつけて帰るんだぞ」
「それじゃ、お先に失礼します!夢子さん達、ゆっくりしていってくださいね。あ、大将。怒られても大将のことは好きですよ!」
「うるせー!」
なんだかんだの師弟愛を目の当たりにし、薫子さんと微笑み合う私。
「薫子、おかえり。よく帰ってきたな。恩に着る」
「No problem! この冬はどちらにせよ日本に帰る予定だったのよ。それが少し早まっただけ」
「薫子さん、ご主人とお子さん達は?」
「年明けには仕事で夫のウィルも来る予定よ。子ども達はお友達と過ごしたいから向こうに残るって。それに、学校へはウィルの妹の家から行くことになっているわ。子ども達、彼女のこと大好きだから大喜びよ。それより、拓哉くん……」
ふと薫子さんと目が合いましたが、彼女はすぐに拓ちゃんの方へ向き直り、意味ありげに無言で頷きました。拓ちゃんは黒目だけキョロッと動かし、おかしな表情になっています。
そのとき、拓ちゃんの手にしているスマホがブブブと震え、「おうっ」と肩を跳ね上がらせました。画面をチラッと見てから、私たちに外へ出ようと手まねきする拓ちゃん。なぜに?
よく意味がわからぬまま、私たちはそれぞれダウンやコートを着込み、拓ちゃんのあとに続きました。
♨️
ビリーの湯から一歩踏み出した瞬間、ひゅるりと冬の夜風が通りすぎてゆきます。後ろで自動ドアが閉まり、人出の少ない商店街に取り残された感の三人。
そしてまたもや拓ちゃんのスマホが鳴りました。こちらに背を向けたまま画面を確認している様子。すると突然、なかなかの声量で彼が呼びかけてきました。
「ふたりとも!見上げてごらん、夜の星を」
「はい?」
「いや、昔三人でクリスマスの夜……ほら、薫子ん家のパーティーに呼ばれてさ。寒いのにシャンメリー持って庭に出て、『雪は降らなかったけど、星が降ってきそうだよ』って、空ぁ見上げたっけな……」
「そんなことがあったわね、私もよく憶えているわぁ。あら、夢子ちゃん、見て!流れ星よ!」
「流れ星?」
薫子さんが指差す方へ急いで向き直りましたが、流れ星はおろか、商店街の狭い夜空には金星と月くらいしか見えません。それよりも、ふたりがなんだか芝居がかった喋り方をしているのが気になります。
そんな私の横で、薫子さんは尚も空を見上げ、ほらほらと指差しております。
「流れ星が消えない。消えないわ!ひょっとしてUFOかしら?ね、夢子ちゃん」
「あのチカチカ光っているやつですよね?たぶんあれは飛行機……」
と言い終わる前に、突然わき起こった和音に「わっ」と驚き、私は口を開けたまま固まってしまいました。
いつの間に?こちらを向く拓ちゃんの背後には、裏拍で指パッチンする5人組がズラリと並んでおります。すごい声量で美しいハーモニーをOh~ Oh Oh Oh と歌う面々。すると、なんと、拓ちゃんが彼らをバックコーラスにして歌い出したではありませんか!
ビリー・ジョエルの『The Longest Time』です。
え、これは、えっと…いわゆるサプライズ?まさか、この期に及んで既婚者の薫子さんに百回目の愛の告白をするつもりでしょうか?年が明けたらご主人も来るというのに。
私はそっと薫子さんに視線を移しました。
おや?いつもなら拓ちゃんからの告白をキリッとした態度で退けようとする薫子さんさんが、ノリノリだぞ?歌に合わせて肩を揺らしておられる。
私は、先ほどゆず湯で回顧していた中学時代の亀の湯リサイタルの場面を再び思い出していました。
変だな。あのときと違って、拓ちゃんとバッチリ目が合うぞ。薫子さんの方を見ると、にっこり顔の彼女とも目が合います。どういう状況なのでしょう?そして、コーラスの彼らは誰?メインボーカルの拓ちゃんより歌が上手いです。ええい!もう、歌を楽しむしかありません。愛想笑いを浮かべながら「私もノッていますよ」と手拍子で参加しました。
夜九時過ぎ、まばらだった商店街の通行人もいつの間にか私たちを取り囲むようにして集まり、彼らの歌を聴いています。
やがて「for the longest ti~me 」と美しいハーモニーで曲が締めくくられると、ささやかな拍手がわき起こりました。
「夢子」
「わぁ、歌いきったね」
「夢子!」
「拓ちゃん、いつ練習してたの?」
「夢子ちゃん、聞いてあげて」
「俺……」
なぜでしょう?薫子さんもコーラスの皆さんも、固唾を飲んでいるご様子。
「俺……俺……」
「拓ちゃん…?」
「その……夢子。少しは元気出てきたか?」
「ああ……拓哉くん。夢子ちゃん」
なぜか息も絶え絶えな薫子さん。しきりに頭を掻いている拓ちゃんも、らしくありません。
「とにかく!これからも前みたいにビリーの湯に通ってくれよな!嫌なことなんて忘れてさ。なっ!」
「うん、ありがとう。心配かけてごめんね、拓ちゃん」
周囲から漏れる溜め息。拓ちゃんが「すまん」と後ろに声をかけると、コーラスの皆さんは会釈しながらゆるゆる解散してしまいました。
「ふうぅ…本当に素敵なコンサートだったわ。そうね、夢子ちゃんが元気になれたなら、私もうれしい」
ああ、なるほど。だんだんと理解できました。
私が失恋のショックからなかなか立ち直らないので、薫子さんが帰国するこの機会なら私をビリーの湯に引っ張って来れるだろうと拓ちゃんは思ったのですね。
でも、思いがけず今夜私の方から銭湯へやって来たから、薫子さんとの偶然の再会も奇跡的に叶ったし、このタイミングに「夢子を元気づける会」を前倒ししてくれたという。
くうぅっ!なんて思いやりに溢れているのでしょう。
私は感極まってうるうるしながら、ふたりに深々と頭を下げたのでした。
♨️つづく♨️