北風ココア 【物語】
街に来たのは北風。
待ち合わせ30分前に着いてしまった。
佃煮くん、もとい佃田くんへ、早めに到着したことをメールすると、彼からは「ごめん。こちらは10分ほど遅刻しそうです。暖かいところで待っていてください」との返信があった。
「どうしよっかなぁ…」
駅のロータリーをぐるりと見渡す。
駅を背に左へ回ると、マックとスタバがある。どちらか空いてそうな方へ入ろうかな、と、肩に掛けたチェック柄のストールを翻して歩き出した。
ところが、どちらもレジカウンターには人が並んでいて、席も埋まっていた。
あまり駅から離れた場所だと、佃煮くんに悪いよなぁ…。植込み近くのベンチで待とうかしら。
バッグのショルダーを直しながら、葉っぱのレリーフをあしらった鉄製のベンチに腰を下ろした。
「つめたっ!」
座面に手をついた途端、思わず声が出た。デニム越しにも、キンキンを極めたベンチの冷たさが伝わってくる。
おまけに、せっかくヘアアイロンで念入りにストレートにしてきた髪が、ドウッと吹く強烈な北風によってめちゃくちゃにされた。
「なんてこった!」手ぐしで絡まる髪を梳かしつつ立ち上がり、対面したマックの窓に映る自分を見た。
なんか、変だ。
言いようのない違和感が、ブーツの踵からつむじまでせり上がってきた。
すると再び、北風が背中を押すようにバビュンと吹いた。足をもつれさせ、ヨタヨタとマックとスタバの前に戻ってしまった。
「あれ、こんなんあったっけ?」
マックとスタバに挟まれたわずかなスペースに、さっきは気づかなかったけど、サフラン色の木の扉が出現していたのだ。
扉には【OPEN】の札が掛かっている。それ以外にはほとんど何もわからない情報量の無さ。
寒さに震える私は、とりあえず何のお店でもいいや、という気持でその扉を開けた。
☕️
入ってみると、間口は狭いものの廊下の奧は想像より少しだけ広かった。カウンター席が5つある。
「いらっしゃい」
レコードを手にしたマスターとおぼしき人物が振り返る。私は軽く会釈し、廊下から一番近い端っこの席に座った。自分の他にお客の姿はなく、テーブルや壁に視線を走らせたけど、メニューが見当たらない。
つつつーっ…)))
「えっ?」
まだ何も注文していないのに、カウンターテーブルの奧から私の目の前へ、カッブ&ソーサーが華麗にスライディングしてきた。
「アチラのお客さまから…」的な?いや、私しかおらん。
「うちの店、ココアしか提供しておりません」
誇らしげに胸張ってウインクを決めるマスター。
それにしても、よくこの木目の浮き出たテーブルの上をカップ&ソーサーが滑ってきたな…と、不思議の国へ片足突っ込んだ気分である。
店内には、先ほどマスターがかけたレコードなのか、少年隊の『仮面舞踏会』が流れていた。何故にそれ?
♪迷い込んだイリュージョン 時を止めた~
いや、ピッタリでした。
☕
もう引き返せない感じなので、私はココアを一口飲んだ。
ほうっと溜め息。かじかんだ指先に、胃の腑に、ココアの温もりがほんわり浸み渡ってゆく。
「よかったら浮かべてね」
マスターが別の器に盛ったマシマロをテーブルにスライディングさせて寄越してくれた。
「ども」と会釈し、全部ポトポトっとカップに落とす。「んまい」と思わず呟く。マスターはすかさず「でしょ?」と言って、親指を反らせた。
そうだ、佃煮くんにメールしておかなきゃ。
「駅前ロータリーのマックとスタバの間にあるお店の…名前わからないけど、とにかく間のお店で待ってます」うとうと…ZZZ
☕
「佃田カイトと言います。小・中学校通してずっと“佃煮”って呼ばれていました。最初は嫌だったけど、覚えてもらいやすいし、いまでは結構気に入っています。仲良くしてくれる人は“佃煮くん”って呼んでください!」
高校生活最初のホームルーム。自己紹介での一コマである。みんな目をパチクリさせたのち、その場を支配していたはずの緊張の糸が切れ、クラス中がドッと笑った。
彼はすぐクラスの人気者になった。
そんな彼を、私はちょっと苦手かもって思っていた。
佃煮くんは八重歯を覗かせる人懐っこい笑顔で、さらにみんなを虜にしていった。勉強はできたし、運動神経も悪くはなかった。
私はテンション高めのクラスの雰囲気に馴染めず、休み時間はもっぱら茶道部の友達と廊下でおしゃべりしていた。
「帆波ちゃんのクラスの佃田くん、いつも輪の中心になってるね」
「佃田くん?ああ、あのアイドルみたいな人ね」
「高校デビューか。でも、これが本来の佃田くんだったのかな?」
「え?ミクちゃんあの人と同じ中学だったの?」
「なんなら小学校も同じだったよ。高校は地元から遠いから、私とあの子しか同じ学校出身の人いないけど」
ミクちゃんの話によると、佃田くんは小・中ずっと、ジャイアンを極悪にしたようなヤツに目をつけられていて、「おい、佃煮!」と毎日のようにパシりにされていたそうだ。
しかし、中学卒業を目前にした冬の日、その極悪ジャイアンは突然、親の都合で遠い他県へと逃げるように引っ越していった。事情は定かではないが、重しがなくなった途端、一番わいたのは佃田くんではなく周囲の友達だった。
「佃煮、よかったな!やっとアイツから解放されたな」
「オレたちずっと心配してたんだよ」
みんな口々に勝手なことを言った。誰も助けようとしなかったし、佃田くんのことを極悪な彼への生け贄として差し出していたくせに。
でも、私も勝手なもので、ミクちゃんにその話を聴いたときから、佃田くんへの見方が大きく変わった。
自分は小学生の頃、孤立していた。転入生だったこともあり、よそ者扱いから始まって、授業の進みが前にいた学校より早かったため、追いつくのに時間がかかってクラスからは頭の悪い子認定された。
仲良くなれそうな子に話しかけようとすると、どこからともなくクラスの中心的な女子グループが取り囲み、私からその子を引き離した。
あっという間に私は孤立した。
その状況から脱け出したい一心で必死に勉強し、中学校は親の勧めもあって私立へ進学できた。
もう同じ思いはしたくない。私はクラスメイトに愛想を振りまき、いつも笑顔を心がけ、分け隔てなく誰とでも仲良くした。
中3のときのこと。ひとり教室の隅でポツンといる嶋木さんという女の子がいた。過去の自分を見ているようで放っておけない気持になり、私は積極的に声をかけてみんなの輪に招き入れようと試みた。
しかし、彼女は頑なに自分の席を離れず、ただ窓の外を眺めてひとりの休み時間を過ごしていた。根負けした私がグループのなかに戻ろうとした、そのとき。
「帆波さんって、八方美人だよね。それに、私のこと可哀想だと思ってるでしょ?」
初めてそんな長い言葉を投げかけられたうれしさは、その言霊のインパクトによってすぐさま吹き飛んだ。
嶋木さんの声を聴こうと急いで私は言い返した。
「そう思わせたならごめん。でも、あなたと仲良くなりたい」
しばらく机の上の手元を見つめ、彼女は顔を上げた。
「いつも一緒にいる友達があなたにはたくさんいるじゃない。それとも、クラスの女子をコンプリートしないと気が済まないの?」
「そんなんじゃない」
「ちょっと!何てこと言うの?帆波が優しさから話しかけているのに、そんな言い方ひどいよ!」
少し離れた場所にいた友達が、援軍を引き連れて私を守るように立ちはだかった。
その出来事を境に、私達のクラスはあまりグループに囚われず、嶋木さんもたまに会話に加わったり、気分じゃないときはひとり頬杖ついて窓の外を眺めて過ごしたりしていた。
私は、みんなの橋渡しをしようとひとりで空回りしていたお節介な人間だった。
嶋木さんのことを寂しそうな人だと思い込み、仲間に入れてあげたいだなんて…親切ぶって立ち回った自分は何様?と落ち込んだ。
でも、周りは変わらず私と友達でいてくれた。嶋木さんとも以前より言葉を交わせるようになった。
私は友達に恵まれていた。理想の場所を作ろうと必死に奔走せずとも、自分の欲しかった居場所はもうそこにあったのだ。気づいたとき、その奇跡に泣いた。
けれども、嶋木さんがあの日私に放った言葉は、トゲとなって私の胸に刺さった。
自分が孤立していたとき、私のことを受け入れて、お節介でもなんでもいいから、みんなと打ち解けるキッカケをくれる人がいたら、どんなに救われただろう。そんな想いがあって、私はクラスでその役割をしようと振る舞ってしまった。
だが、嶋木さんのように、ひとりでいる方が心地よく、自分らしくいられる人もいるのだ。
じゃあ、私らしくいられるって、何だ?
自然体でいられることこそが幸せなのか。無理してでも理想の自分を演じて、それに近づいてゆくのが“ らしさ ”を手に入れることに繋がるのか。
考えすぎておかしくなりそう。
☕
佃田くんは、こないだまでの私のようだった。
だから、彼のことを苦手と感じたのだろう。
しかし彼にも、形は違えどここに辿り着くまでの暗黒時代があって、いまはどこか無理しながらでもアイドルを演じ、自分のような人間を救いたいと思っているのかもしれない。
そしてめげずに今日も彼は、ひとりでポツンといる私の席へ来て、「帆波さん、スピッツ聴く?」「帆波さん、ビスコ食べる?」とか言いながら、CDや赤い箱を持ってくる。
この人の優しい笑顔は、きっと泣き顔から出来ていたんだ。
☕
「帆波さん、おーい、帆波さん」
ちょんちょん、と頬をつつかれ、いつの間にか眠っていたのだと気づいた。すぐ隣の席には、大学のゼミを終えた佃煮くんが座っていて、私を覗き込んでいる。
つつつーっ…)))
マスターがココアをカウンターの奧から滑らせ、見事、佃煮くんの前にピタリと止めた。
「えっ?えっとぉ…」
「うちの店、ココアしか提供しておりません」
戸惑いながらこちらを見る彼に、私も頷いて自分のカップを指さした。
「美味しいから」
「それじゃ、いただきます」
佃煮くんは猫舌なので、フゥフゥしてから慎重にカップに口をつけた。
「あ、んまい」
マスターは、当然ですという表情で二度頷いた。
「遅れてごめんね」
「ううん、平気。それにしても、ずいぶん寝ちゃった。マスター、すみませんでした」
「ドン・ウォーリー♪」
やっぱり不思議なおじさんだ。
「なんか、うなされてたみたいだったよ」
「ほんと?長い夢というか…昔をなぞる旅に出ていたからかな」
「ん?どゆこと?」
唇の上の産毛にココアの泡をくっつけた佃煮くんは、非常に可愛らしい。
「ところでさ、確認なんだけど」
急にモジモジし出す彼。
「なんでしょう?」
「あのう…ぼく達ってさ、その…」
「はい?」
「つき合ってる…ってことでいいのかな?」
はあ?今さら?と、私の眉が歪なハの字になったのを見て、佃煮くんは気付けのつもりか、熱々のココアをグッとあおり、悶えた。
カウンターの向こうで、やれやれとマスターが首を振る。
一体誰のために、ヘアアイロンで髪をツヤツヤのストレートにしたと思ってんの?今日だって、待ち合わせの時間に30分も早く着いちゃったんだよ?
「青年よ、その前に言うべき言葉があるだろう?」
丸聞こえのマスターの囁き。そして、彼のココアにマシマロをポトンと一つ落として「飲みなさい」とジェスチャーした。
今度はそうっとココアをすすり、マシマロをモグモグしたのち、彼がこちらにキリッと向き直った。
「もう、お気づきでしょうが、ぼくは帆波さんのことが大好きです!!」
佃煮くんの大きくうわずった声での告白。心の準備はできてたはずなのに、心臓がバクンバクン鼓動を打った。
「私も…佃煮くんが好きでつ。あ、噛んだっ」
マスターは「きゃっ💓」と乙女のように喜び、あらかじめスタンバイしていたレコードに針を落とした。
♪やわなハートがしびれぇる~ 心地よい針の刺激~
わけもないのに輝く~ それだけが愛のしるし~
「あっ!」
ふたり同時に顔を見合わせる。
私達の大好きなスピッツの音楽が、お店の中に満ち満ちてゆく。
外はまだ北風吹きすさぶ街。
佃煮くんと私は、2杯目のココアをマスターに淹れてもらい、カップで照れた顔を隠しながら飲んだ。
~ fin ~
最後まで読んでいただき、ありがとうございました☕️💕思いがけず長くなってしまいました。
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