花屋の葉子さんと夏至祭り ~前日~ 【物語】
海を臨む街で花屋をはじめて5年目の夏。
早めに訪れた梅雨が何週間か居座り、世の奥さまがたの洗濯計画をさんざん狂わせたあと。今度はジリジリ太陽が投げキッスしながら地上の人々に幻を見せる季節となりました。
冬はあんなにツラかった水やりが、いまは水遊びのように感じるわ。
店先に並べた鉢植やポット苗に水をあげながら、花屋の葉子さんは地面にも打水をし、ついでにフレンチスリーブから伸びた自分の腕にもホースの先をミストに切り替え水を浴びせました。
気化熱でいくらか涼しくなると、葉子さんはお店の中へ戻り、作業台の前にぬんっと立ちました。
台の上には、様々な切花やカラフルなリボン、麻紐が準備されています。
注文を受けた花冠は、昨日までに作り終えました。アーティフィシャルフラワー(※生花をリアルに再現した造花)を使っているので、萎れる心配はありません。
しかし、7種類のお花のブーケは、本物の生花で作ります。
おっと、いけない。お話がすすむ前に、葉子さんが一体何のためのブーケを作ろうとしているのか、ご説明しなくてはなりませんね。
◇
明日の夜、この街で“夏至祭り”が開催されます。
夏至祭りとは、わりと最近始まったイベントです。とはいえ、かれこれ30年の歴史がありますが。
むかし、この街に移り住んで来たスウェーデン出身の人が、自分の故郷の夏至祭りを教えてくれたのが発端です。その一部を、市の観光課が「いいね、ピッタリだね」と指を鳴らし、かなりアレンジを加え、リリースしたという。
※当時、市のスローガンは、『花と緑と市民の笑顔 波打ち際でハピネス拾おう』でした。半分はありそうで、半分はなんのこっちゃ?ですね。
本家北欧には、夏至の夜、少女たちが野原で7種類の花を摘み、枕の下に敷いて眠ると夢に未来の結婚相手が出てくる…というおまじないがありまして、それが元になっているそうです。
この街の夏至祭りでは、女性が花冠をかぶり、男性は想いを寄せる女性に7種類のお花のブーケを渡します。もし両思いならば、女性は花冠を彼の頭にかぶせます。
そんな、街コンの走りのようなイベントでした。
ロマンチックなんだか…観光課の思う壺なのか…賛否両論ありましたが、最近では、花冠をかぶっていかに可愛く写真を撮るかという別の思惑が先行し、男性陣はすっかり蚊帳の外でした。
◇
葉子さんは手を休めることなくお花を束ねてゆきます。
ブーケを予約する男性はほとんどいませんが、当日になるとそれぞれの花屋で、いつの間に売れた?くらいの駆け込み需要があります。前もっての予約は照れくさいのでしょうか。
ホワイトデーにお返ししそびれた男子や、うっかり結婚記念日を忘れて奥さんが未だに不機嫌というご主人にとってのお助けアイテムにもなっているようですよ。
「こんにちは…」
聞き覚えのある柔らかな声が、お店の入口付近でしました。葉子さんが手元のブーケから顔を上げると、黒のポロシャツを来た楠木さんが、様子を窺うように腰を低くしていました。
楠木さんは、山を挟んで向こう側の街でファームを営んでいるガーデナーさんです。葉子さんにとっては、花屋をはじめるときお世話になった恩人であり、師匠のような存在でした。
「やあ、ごめんね、一番忙しいときに」
「いえ、とんでもない!」
お尻を半分載っけていた脚高の木の椅子から滑り落ち、ガタンとすごい音がしました。
「大丈夫?!葉子さん」
「はい、何ともありません」
片目をつむって痛さに耐えていると、心配して手を差しのべる楠木さんの腰のあたりから、ひょっこり違う顔が覗きました。
「こんにちは…あのぅ…葉子さんですか?」
青白く透きとおった肌の少女が、不安げに訊ねました。
◇
少女の名前は渚ちゃん。隣町の小学五年生で、楠木さんのファームのご近所さんであり、彼のいとこのお嬢さんでもあります。
どこか儚げな印象を与えるのは、緩やかなウェーブを描く栗色の髪と、青白い頬のせいでしょうか。それでいて、瞳の奥には、芯の強さを感じさせる光が宿っています。
「葉子さんに花冠を作ってほしいんです」
渚ちゃんは、祈るように膝の上で手を組んでいます。
「もう予約分しかないよね?」
「ええ…アーティフィシャルフラワーは全部予約に合わせて準備していたので…」
組んでいた手の力が抜け、少女はガクンと肩を落としました。
「でも、生花でならご用意できます!」
葉子さんの言葉に、バッと渚ちゃんが顔を上げ、楠木さんもホッとしたように少女を見ました。
「明日の夕方に合わせて作ります。萎れないようギリギリの時間に」
葉子さんは早速彼女の頭囲を測り、お気に入りのお花はどんなのか、希望を訊きました。
渚ちゃんは青いお花が好みのようで、ブルースターやブルーデージー、青のアジサイなどを選んでいました。たしかに、髪の色ともマッチしそうです。
そこへピンクのトルコキキョウやルピナス、そして、渚ちゃんが「可愛い!」と目を輝かせて見ていたセンニチコウ・ラズベリーフィールズというお花も、ポット苗ですが、カットして使うことにしました。
葉子さんもラズベリーフィールズはお気に入りなんです。濃いピンクの花がポンポンしていて愛らしく、名前も美味しそうですものね。
◇
渚ちゃんは、明日の夏至祭りの前に来ることを葉子さんに約束して、駅の方へと飛び出して行きました。どうやらボーイフレンドと会う約束をしているようです。
「明日も彼氏くんと夏至祭りに行くんでしょうね。かわいい恋人たちですね」
葉子さんは楠木さんに冷えたミントティーを出してから、再びブーケ作りにとりかかりました。彼は美味しそうにゴクゴクのどを鳴らし飲んでいます。
「このハーブティー、葉子さんのお手製?ミントと…レモングラスの香りもするね」
はい。と答えた彼女は、お花を束ねながら彼をチラリと見つめました。
アイスコーヒーのほうがよかったかしら?ハーブティーって好き嫌いわかれるもの。私ったら自分が好きだからってついお出ししてしまったわ。
「スッキリして夏にぴったりだ」
「あ…ハーブティー、大丈夫でしたか?」
「ふだんは飲まないけど、これ美味しいね」
そう言って、氷だけになったグラスを持ち上げました。
「今日は突然のお願いですまなかったね」
楠木さんは、作業台に散らばった葉や切った茎を片づけてあげながら、帰り支度をはじめました。
「楠木さん、これからどちらに?」
「うん、自分の仕事は午前中までで、午後は夏至祭りの準備を手伝うことになっているんだ」
葉子さんも、今日と当日はいつもより遅い時間までお店を開けている予定です。
「それにしても…渚ちゃん、最近元気なかったから、ちょっと心配だったんだ。彼女の父親がぼくのいとこでね。光太(こうた)っていうんだけど、こんど転勤になるらしくて、たぶんそのこともあるんだろうな」
それじゃ、おじゃましました。と手を挙げ去ろうとする楠木さん。
白いものが混じった頭に、クルンと柴犬のしっぽみたいな寝ぐせが揺れています。
それを見た葉子さんは、直してあげたいような、そのままにして鑑賞していたいような、何ともいえない気持になりました。
「いけない、いけない!」
ぷるぷると頭を振って煩悩を振り払うと、再び見事な手さばきでブーケを次々作り上げるのでした。
さあ、明日はいよいよ夏至祭り。
渚ちゃんとボーイフレンドがうまくいくように、そして、たくさんの幸せなカップルが誕生するように。
黒子(くろこ)に徹する決意の葉子さんなのでした。
しかし、夏至祭り当日。葉子さんが…ひょっとしたら楠木さんでさえも想像していなかった展開になるなど、このときは知るよしもありませんでした。
~後半へ続きます~
※『花屋の葉子さんと夏至祭り・後編~今夜はお祭り~』へと続きます。
お楽しみいただけるよう、葉子さんもはりきってお待ち申し上げております!🍀
前作『花屋の葉子さんとシークレットガーデン』も、お読みいただけるとうれしいです!