ウミネコと月猫とうちの子【エッセイ】
ウミネコが我が家に飛んで来た。
ウミネコ(雑誌)は紙の翼ではるばるここへ来た。
ページをめくると、雑誌を駆け抜けるようなリズムがある。
ぜんぶ猫であり、ひとりとして同じにゃんこではない。
私は、5年前、虹の橋を渡った人生最愛の我がにゃんこに、「届いたよ」と心の中で報告した。
🐈️🎶
ぼんやりRADIOさんにお声をかけていただいたときは夢のようで、同時にワクワクした。
昨年noteに投稿した『月猫、今宵あなたのもとへ』を載せてくださるとのお話。
そのときに、「もしよければ、この物語に加筆してみませんか?」と提案していただいた。
実はこの月猫、昨年ピリカ文庫で「月」をテーマに書かせていただいたときのもうひとつの案で、それを書き上げて投稿し、成仏させたものであった。
提出した方の『月』は、ピリカさんの朗読がきっかけで、連載(といっても現在は大ブレーキ中)『リカルド~月~』が生まれた。
そして、今回、月猫が再び歩き出すチャンスをいただけた。
🐈️🌛
さて、それでは、どんなお話を加えようか?
本当のことをいうと、最初に書いた月猫では、唐突に始まり消化不良で終わる印象を我ながら抱いていた。
なので、冒頭とラストを加筆しようということは自分の中ですぐに決まった。
冒頭は月猫が歩き出す場面から…。
問題は、ラスト。
私は、猫へのキモチを考えた。
猫が大好きだということ。彼と暮らした日々は冒険とミラクルに満ちていた。
そして、最期のときの無力な自分。猫への懺悔と後悔。
🐈️
ぼんやりRADIOさんがウミネコ第一号のテーマとして掲げている言葉のひとつに「この世界に猫がいること」とある。
届いた雑誌『ウミネコ』を開くと、一口に猫といっても、驚くほど豊かなバリエーションをもって、猫世界が広がっていった。
🐈️
自分の猫が虹の橋を渡ったあと、私の心は機能しなくなり、ただ涙だけは枯れることなくいつまでも流れてきた。
自分の生きている価値は、猫を保護し、育て、愛を教えられ、生きていてもいいのだと思わせてくれたあの子がいたからこそのものだった。彼が旅立ったと同時に、私の存在意義はなくなってしまった。
家にいたくなくて夜の住宅街をフラフラ歩いていると、外をパトロール中の猫が道の真ん中にいて、近づいても逃げなかった。
そっと手を伸ばすと、撫でさせてくれた。
「ありがとう。優しい子だね」
しゃがみこんだまま、泣いた。
同じ言葉を、何度あの子にかけてきたことか。
この世界に猫がいてくれて、よかった。
私の心は、そのとき微かに動き出した。
~fin~
最後まで読んでいただき、ありがとうございます🍀
ぼんやりRADIOさん、『ウミネコ』に参加させていただき、本当にありがとうございました!😸✨️
描き下ろしのぼんさんの絵が味わい深いラブリーさで、見ながらウフフエヘヘ))と喜んでおります🤭
紙の本になる体験は、想像以上にうれしくて、震えました!
お酒飲めないけど、ブラッディメアリーで乾杯!🍸️✨
そして…
秀麗な文章でありながら、なんなんすかー!面白すぎ!お料理美味しそう!な記事で、読んだ私たちを美酒と笑いの世界へ誘ってくれる豆千さん。
豆千さんの記事に、ウミネコが!😻🎶
ありがたや~!✨️
mocmocさんの素敵なにゃんこ達の絵をヘッダー画像にお借りしました!ありがとうございます😽💕
おしゃれで可愛いイラストに、いつも心踊っております!
そして、この記事を下書きしていたときに、mocmocさんのウミネコ紹介が!😭✨️うれしいです!
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