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湯けむり夢子はお湯の中 #19 薫子さんの回想


 クリスマスが近いこの時期に飛行機のチケットが取れたのは幸運でした。なぜかすべてがトントン拍子だったのです。
 夫の両親はザルツブルクに長期滞在中で留守にしていましたし、子ども達は親よりお友達と過ごしたいみたいで、どうしてもこっちに残ると言って聞きませんでした。年明け新学期には、夫の妹が子ども達のスクールへ送り迎えしてくれると申し出てくれました。
 神がかっています。まるで出エジプト記でモーゼが海を割って道を作ったかのように、すべてが私の日本行きを後押ししてくれていました。


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 こんにちは、薫子・アンダーソンです。夢子ちゃんと拓哉くんとは中学時代からの幼馴染みです。ひとつ学年が下の夢子ちゃんは、幼馴染みであり、親友であり、また妹のような存在でもあります。

 

♨️

 十一月に入った頃、めずらしく拓哉くんからメールが届きました。
 夢子ちゃんがもう二ヶ月もビリーの湯に来ていないとのこと。それはすなわち緊急事態であることを意味します。
 しかも失恋が原因。まさか、拓哉くんが夢子ちゃんを振ったのでしょうか? ならばそっとしておくべきです。
 しかし、よくよく話を聞くと、どうもお相手は別の殿方。不謹慎ながら私はホッとしました。だって、出会ったときから私には見えていたのです。ふたりを繋ぐ赤い糸が。

 とにかく、夢子ちゃんの一大事であることに変わりはありません。
 十二月半ば、運良く帰国の目処もつきました。
 空港のラウンジで読書していると、拓哉くんからある計画を手伝ってほしいという趣旨のメールが届きました。それを読んで、私の胸は高鳴りました。もちろん喜んで協力しますとも。
 そのためには、まず私が彼女をビリーの湯に連れて来なくてはなりません。大改造したとはいえ、私たちの思い出がそこかしこに現在いまも息づく場所です。

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 日本へ戻って早速向かったのは、実家ではなくビリーの湯でした。
 拓哉くんはそこの三代目店主ですので、ほぼ確実に銭湯にいるはずです。まずは計画の細かい打ち合わせと、その後で久しぶりに大きなお風呂に入ろうという目論みでした。

「すみません。大将はいま外へ出ておりまして。遅くともあと三十分程で戻るはずなのですが……」
 
 律儀そうな若い男性の店員さんが、受付で申し訳なさそうに告げました。

「約束していたわけではないので仕方ないわ。そうね、せっかくだから、お風呂に入って時間を潰そうかしら」

「ぜひそうしてください! いまちょうどゆず湯をやっておりますので」

 ゆず湯なんて何年ぶりでしょう。浴場の引き戸を開けた途端、爽やかなゆずの香りがしました。体を洗い、いそいそと湯船へ入りますと、惜し気もなく投入されたゆず達がゴロゴロと湯に浮かんでおりました。

「アメイジングだわ……」

 改めて、日本の風習はユニークでエキサイティングだと思いました。ああ、こんなに素敵なお湯が待っているのに、湯めぐり好きの夢子ちゃんが来ていないなんて余程のことだわ。

「かっ…かっ…かっ…」

 そのとき、隣の人影が湯気越しに「か」を連発し出しました。

「アーユー…? ん? あら? あららら?」

 まあ! なんということでしょう!

「薫子さん?!」
「夢子ちゃん!」

 アメイジング & アメイジング! 念ずれば通ず。
 なんと、まさかゆず湯で夢子ちゃんと再会できるとは。

♨️

 脱衣所で髪を乾かしながら、私は彼女に気づかれないようこっそりと拓哉くんにメッセージを送りました。こんな偶然、さすが私たちです!
 とはいえ、夢子ちゃんが次いつビリーの湯を訪れるか。失恋の傷はすでに癒えているのかもわかりません。とにかく、いま彼女をつかまえておかないと。

 しかし拓哉くんからは、髪を整えメイクを直した頃になっても返事が来ませんでした。
 お風呂に入る前、受付の店員さんが三十分程で戻るはずだと言っていたけれど、もうあれから一時間は経過しています。一体、どうしたのでしょう?

 驚かせようと思って帰国の日にちを伝えていなかった私もいけませんが、彼の計画に協力するつもりでここへ立ち寄ったら、当の夢子ちゃんがビリーの湯に偶然いたのですよ? 
 もうこれは、運命ディスティニー以外の何ものでもないわ。

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「アンダーソン様、薫子・アンダーソン様」
「はい」
「準備ができましたので、浴室へどうぞ」

 実家で両親の元気な様子に安堵し、久しぶりのおせちを食べ、今は、結婚前によく訪れていたスパ・エステサロンへ来ています。
 大学時代の友人が経営しているサロンなので、急な予約にも対応してくれました。

 ジャグジーで凝り固まった体をほぐし、スチームサウナへ。
 風呂プロの夢子ちゃんのようにビリーの湯の熱々サウナを五ラウンドもこなすことはできませんが、こちらのスチームサウナなら私にとってちょうどよい温度。

「ふうぅ……。良き」 

 細かいミストに包まれながら、私は再び、あの夜の出来事を物語のページをめくる気分で辿るのでした。


~つづく~



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