非暴力コミュニケーションNVCとは
NVCについて全体像をざっくり解説したものが見つからなかったのと、NVCを知らない人にどう紹介できるかという自分の中の整理のため、簡単な説明を試みます!(興味が出たらぜひ本を読んでみてください)
NVCとは
Non-Violent Communication(非暴力コミュニケーション)の略で、1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化されました。
「非暴力」と聞くと、ガンジーの非暴力主義が思い浮かびます。インドには紀元前、宗教が生まれる前から、アヒンサ(非暴力)という哲学が存在し、連綿と受け継がれ、仏教やヒンズー教にも、この古代インド哲学は影響を与えています。最近だとヨガの八支則で学んだり、ティク・ナット・ハンのマインドフルネスなんかも非暴力な社会活動として知る人も多いのでは。
NVCでは、この非暴力を、共感的コミュニケーションを使って実現します。共感で、自分の内側と、外側と、繋がり、平和を創り出すのです。
共感とは
ここでいう「共感」は、「同感」とは違います。
例えば、人の話を聞きながら、「あっ」とか「分かる」となったら、それはもう聞き手の気持ちが話題になってしまうので、同感と呼びます。私たちが日常で「共感」と言う時、この「同感」を指していることがほとんどです(良い/悪いではありません)。
NVCでは(多くの臨床の場でも)、共感は同感とは分けて考えられます。
(※他にも共感と混同されやすいものとして、慰めや励まし、アドバイスなどがあります。)
ではNVCで「共感的に聞く」とは何か。
共感とは、「何か大事なものがあるのだな」という層で繋がること
です。そういう態度で、ただ在ること、存在することです。
相手がどう感じているのか、言葉の裏で本当は何を必要としているのかを理解して、初めて対話が成り立ちます。
聞き手の感覚で決め込むのではなく、「あなたはこういう感情を抱いていますか?これを大事にしているのですか?」と、少し回りくどい感じがしますが、丁寧に相手の感情とその奥の大事なものを共有します。
NVCの大事な要素「ニーズ」
その「何か大事なもの」ですが、NVCではこれを「ニーズ」という呼び方で理解します。喜びや怒りといった感情の奥にも、また、判断や批判のような思考の奥にも、私たち全人類の誰にとっても大切な大切な「ニーズ」という命の源泉があるのです。(→ニーズリスト)
このニーズに気付き、ありのままつながることで、本来の命の質感に近づいていきます。
具体的な共感のレッスン
頭(思考)で判断・批判・分析・取引などをする代わりに、心(ハート)の声、つまり感情やニーズに耳を傾けることから、共感は始まります。
これを他者に行えば「他者共感」、自分に行えば「自己共感」です。
ただし「NVCは、自己共感に始まり、自己共感に終わる」と言われるほど、自己共感を身につけることを大切にします。人は、自分が十分に共感されてからでないと、人に共感するのは難しいです。
例えば誰かに対してモヤモヤしている時、あなたは怒りという自然な感情を、思考で抑えたり認めないようにしているかもしれません。その「感情を悪と判断する思考の働き」こそが、苦しみを深めます。
そうではなく逆に「あぁ私は怒っているんだなぁ」と、ありのままの自分に共感すると、その奥にあった満たせなかったニーズの存在、大切でとても守りたかったもの、命に近いものに気付くことができます。そこから次のプロセスが始まるのです。
他にも、感じるのが心地悪いネガティブな気持ちはたくさんあります。それを「あっても良いのだ」としっかりと感じ切ることが、自己共感です。
でもこれを一人でやるのは難しいので、ピアグループのようなサークルで、他者から沢山共感してもらう経験を重ねます。他者から得た共感を徐々に体の中に内在化するーこの共感のパワーはとてもパワフルなのです。
共感的であるためのツール
この共感とそうでないものを理解し生かすためのツールとして、よく用いられるのは、思考のプロセスと共感のプロセスの対比。
↓ 相手への解釈や決め付けに気づき、大切なものを軸にコミュニケーションしよう。
内面で起きていることを上のカテゴリに照らし合わせながら、自身と内なる対話をしたり、相手の言葉の奥の感情やニーズを推測しつつ対話を進めます。
「全ての行動の裏には、ニーズを満たそうとする試みがある」とマーシャルは言います。
一度試してみてください。ごっちゃになっていたことが整理され、自分が相手に貼っていたレッテルに気付くなど、意外な発見があるかもしれません。
「他者/自分 × 思考/共感」の4象限
また他にも、以下の4象限で理解を深める方法もあります。
①他者をジャッジしたり責めたり分析する思考
②自分をジャッジしたり責めたり分析する思考
③自分の感情やニーズに耳を傾ける自己共感
④他者の感情やニーズに耳を傾ける他者共感
この地図を使って自分が今どこにいるのかを自覚し、③と④に近づいていく練習です。
ニーズは対立しない
私たち人間が対立し争うのは、ニーズのためではなく、互いのニーズを満たすための「手段」が合わないからです。ですから手段の奥にあるニーズに着目すれば、対立は生じないと言われています。
ニーズをどう満たすか、という視点に改めて立ってみると、それまでの思考レベルでは想定し得なかった新たな視座が手に入ります。
たとえば、こちらの誘いに相手がNOを言う時。それは提案された手段に対するNOであり、相手は別のニーズ(体を休めたい、気楽さが欲しい、時間が欲しいなど)にYESと言っています。
にも関わらず「自分がつまらない人間だから拒絶された」という自動思考が登場すると、関係は悪くなります。そうではなく、相手のニーズを推測する共感的対話を心がければ、お互いのニーズが満たされる方向に話が展開していきます。
お金も手段です。お金を使って本当に満たしたいニーズは何でしょう?
中には、満たされなかったニーズを感じて、ただ「嘆く」というプロセスもあります。命の根源的なニーズの嘆きに繋がった時、私たちは「甘い痛み」を経験します。それもまた命のプロセスなのです。
こうしたプロセスは、お互いの内面を侵さず、生来備わっている力を奪うことのない、自分と相手を尊重する方法でもあり、非暴力のゆえんです。
ヨラムの動画
コミュニケーションは生き物なので、やり取りは動画が分かりやすいです。私の好きなヨラムというトレーナーの説明動画とワークショップです。日本語字幕をONにしてご覧ください。
(応用編)パラダイム転換のお誘い
コミュニケーションだけでは解決しない問題もあるかもしれません。マーシャルは「資本主義社会構造の中で人間性を大切にするのはとても難しい」と言います。でも、私たちは全員がこの構造の中に否応なく住んでいます。「~は良いこと」「~が正しい」「~できるなんてすごいね」「~すべき」「~せねば」「~しないで」「あなたに~されたと感じる」…その背景にある懲罰的・支配的パラダイム、分断の影を感じますか?
できることは、「ニーズ視点」で世界を見る目の解像度を上げること。
たとえば、資本主義社会が追及する「利益」や「評価」によって、私たちが本当に得たいと思っているものは何?
渇望してるものは何?
本当に繋がりたいニーズは何?
社会に役立つ人間の教育、市民教育を受けた私たちの心の隅々まで浸透している、善悪や正誤の判断。何だか匂う偽善や嘘もあったり。正しさの椅子を奪い合うゲームを越え、お互いを素晴らしくする場所に行ってみようよ、と、NVCは私たちにパラダイム転換のお誘いをしてくるのです。
解像度を上げて
こうした理解を深めていくと、当然日常に溢れかえった暴力的な言葉や価値観に気づきやすくなります。それに傷ついたり生きづらさを感じることが増えるかもしれません。
私もよく誰かの「べき思考」に出会うたび、「『べき』っていう暴力を使う"べきじゃない"のに!」という思考のジレンマに陥りw、「安心」のニーズが得られないことを嘆くと同時に、自分の持っている「べき思考」の強さに気づきます。
こうしたジレンマに関して、私がNVCを学んでいるトレーナーの方が次のような経験を教えてくれました。
マーシャルの本は日本語で2冊、翻訳されています。
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