UNTITLED REVIEW|神たる倫理の死
釈然としない想いを抱えて記事を書いている。この小説の読了直後は、物語に登場する殺人犯と僕自身が持つ嗜好との奇妙な符号や、内包する自己の姿をこの人物と重ね合わせた時に抱くある種のシンパシーについて述べようと考えていたが、このあとに続く実質的な完結篇を読んで少し気が変わった。自身の中に潜む先述の気質はあくまでも理性的にコントロールされるべき側面であって主体であってはならない。その存在に同調すべきではないのだ。そして、それこそがこの小説の作者と僕との唯一、相容れない部分だった。
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当該小説が《サイコ・スリラー》というジャンルを確立した記念碑的作品であることに疑いはないが、僕は半ば不純な読み方をしていた。この物語の主人公である女性FBI訓練生の、勇気と克己心を持って使命に挑む姿勢や不条理に対して理性的であろうとする際に見せる心の揺れ、そしてその彼女が物語冒頭で出会う、連続殺人の罪で収監中の医学博士が時折見せる異様なまでのこだわりと執着。この物語の主演二人が見せる行動特性には幾度となく、異郷の地で同胞と再会したかのような気持ちにさせられた。
僕はこのような彼らの資質に仮託して、社会生活を送るうえで不都合と思われる自分の中の存在を理性的に扱うことへの苦悩や、自己の多面性に対する葛藤を、肯定あるいは浄化するためにこの小説を利用していたのだ。だから、本作品の数年後を描いた続編のエピローグに思いを馳せると、今もいたたまれない気持ちになる。
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映画や小説などのフィクションに触れる時、ジョーカーやハンニバル・レクターといった稀代の悪役が置かれてきた境遇に一定の理解を示すことはあっても、その存在に対する共感や憧憬は慎むべきであると個人的には思う。しかし、現実の世界は彼らのように独善的で傲慢な為政者や個人、そしてそれら人物を礼賛する者たちで溢れ、その不条理な光景はディストピア小説を彷彿とさせる。
だから、上司や同僚に恵まれなかったゆえに単独で行動を起こさざるを得なかった不運はあったとはいえ、この物語の主人公の彼女には最後まで孤高であって欲しかった。そうでなければ、倫理観というちっぽけなプライドを拠り所に、このどうしようもない世界に対してファイティングポーズを取り続ける者が救われないじゃないか。
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事実上の終わりをむかえたこの物語に対して今さら望むべくもないが、僕にできるこの世界へのささやかな抵抗として最後にあえてこの言葉を記しておきたい。
Clarice, please, come back.