UNTITLED REVIEW|同じ穴のムジナ
ある程度は予想していたことだけど、SNS上に多数アップされているこの小説の読者レビューの多くに、動物園のケージの中にいる珍しい生き物を少し離れた安全な場所から眺めているかのような印象を抱いた。こういったところからも、自分もまたケージの中のフリーク(変わり種)であるということに否が応でも気づかされてしまう。
*
書店入口近くのフェア棚に平積みされていた芥川賞受賞作のひとつを何気なく手に取ったのは先週の日曜日のこと。背表紙側の帯に書かれたあらすじに、再読の度に感銘を受ける沢木耕太郎氏の山岳ノンフィクション『凍』が頭に浮かび、思わず本の扉を開いた。
この物語は主人公が職場の同僚から山登りに誘われる場面から始まる。登山当日に待ち合わせ場所へと集まった参加者。その中にいた主人公と同じ営業課の、初心者にもかかわらず登山ギアだけはちゃっかり良い物を揃えてきた、いわゆる《形から入るタイプ》の若手社員のラストネームに小さなアイロニーを感じた。でもそれは、たぶん僕の勝手な思い込みなんだろうけど。
*
会社の付き合いを億劫に感じて上司や同僚からの誘いを断り続けてきた主人公。当然ながらその性格が災いして転職先でも彼は早々に浮き始めていた。そのことに気づいている彼の妻が「仕事のうちやと思うよ」と、それとなく諭す。この何気ないひと言に、本書を読み進めて行けば今も自分の胸に残る鉛の重みが少しは軽くなるんじゃないかとの想いに駆られた。かくいう僕も、妻が尋ねてこないのをいいことに、今の会社で忘年会や誰かの送別会に誘われても彼女には一切言わない。
また、主人公とその彼に影響を与えた職場で変わり者扱いされて孤立する同僚が、共にバリエーションルートにのめり込む心境もなんとなくわかる気がした。それはたぶん、僕もまた本来の生息地とは異なる土地の動物園で、人の目をなるべく集めないように息をひそめてひっそりと暮らす同じ穴のムジナだからだろう。彼らは山に踏み入ることを好み、僕は街へ駆け出すことを嗜好する。道は異なれど、どちらも自分の脚で自らを違う場所へと連れていく行為に変わりはない。そして、その時間の流れに身を委ねるとき、かつてないほどに自分自身と自分の人生を意識する。
*
近ごろ、走ることへの向き合い方が変わった。休日に走るルーティンは以前と変わらないが、毎回の走る距離を延ばし、ランニングシューズも自分の脚で走ることをより強く意識するモデルに買い替えた。だからといって、距離を稼ぐつもりもないし、速く走ることにこだわりがあるわけでもない。ましてやランニング記録を誰かと共有したりする気なんてさらさらない。走っている時に考えるのは、自分の体重であり胸の苦しさであり、そして正しいフォームのこと。たぶん、このことも僕が本書を手に取った理由につながっている。