UNTITLED REVIEW|不可視の境界線
街の胎動が始まる前の早朝を思わせる静かな物語の書き出し。そして、輻射熱を浴びたときのように身体の芯からゆっくりと湧き上がる暖かで満ち足りた読後感。デビュー作にして第二回京都文学賞受賞作品でもあるその短編に僕は魅せられてしまった。
カタカナで記された作者名を見て、繊細な文章表現に長けた訳者の手により和訳されたとの思考の前提に立って読み進めていたが、実は日本語を母語としない作者自らが綴ったものだったと読了後に知ったときは大層驚いたものだ。ただ、最初に日本語で完読された長編小説が村上春樹の『ノルウェイの森』らしいから、それを聞くと静謐な佇まいの文章にもなんとなく納得がいく。
普段、僕が読む小説は既成作家の執筆したものがほとんど。中身よりも話題が先行しがちな新人作家の文学賞受賞作を読むことはまずない。でも先述の作家の短編集は、馴染みのある場所でよく目にする光景を本の題名にしていたことが興味を引いた。思いもかけず心を惹かれる小説に出会ってしまったことで、僕は出るか出ないかもわからない新人作家の次回作に期待を寄せることになる。
文学賞を受賞したデビュー作は何かと注目されるが、その何年後かに刊行される二作目の扱いは意外に地味だったりする。戦争や災禍で心に傷を負った人々を描いた小説で芥川賞を受賞した作家さんの二作目を発売日直後に買いに行くと、その書店での陳列は棚差しだった。二作目の壁という言葉もあるくらいだから、せめてそこまでは書店も応援してあげてもいいのにな、と棚から本を抜き出しながら思ったことを今も覚えている。
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今回読んだ本との出会いは偶然だ。何気なく足を踏み入れた書店の新刊コーナーで、平積みされた本の中にカタカナで書かれた見覚えのある作家の名前を見つけた。それは紛れもなく次回作を心待ちにしていた作家の新作だった。しかも芥川賞候補作とある。思わず声を上げそうになったが、咄嗟に場所柄をわきまえ、口だけを「まじか !?」と動かす。事前に録音した歌声に合わせてリップシンクするみたいに。
新作といっても総頁数は100ページにも満たない。恐らく二時間もあれば読めてしまう。でもその分量が、心を落ち着かせるにはちょうどいいのだ。物語の中で過ぎる時間も非常に短く、留学先の日本からサウスカロライナに帰郷した主人公のそこで過ごす数日間のみが描かれる。ただ、故郷で暮らす独り身の父親と主人公の血は繋がっておらず、その父親の母語も英語ではない。また、主人公も留学期間を終えた後、日本へ帰属するか故郷へ戻るかで揺れている。国家や家族、そして言語。何かと何かを隔てる目に見えない境界線。短い作品ながらも、その意味を考えずにはいられなかった。
自然を流れる小川と岸辺の草のあいだは曖昧だ。
人間だけが物事の明確な境界を知りたがる。