刹那一千秒物語 三夜
~ミドリとサトシ~
∞ midori ∞
仕事帰り。
家までの道、空を見上げながら歩く私の足はフラフラとぎこちない。
近頃、雨が続いていたから久し振りに見る星空は空気も洗われて、何時もより少しだけ沢山の瞬きを見せていた。
この辺りもだいぶ家が建ち並びはじめて、昔の面影は何処にもない。私がまだ小さい頃、此処は一面の野原だった。少し先に見える丘の向こうは未知の世界で、想像するだけでワクワクしたのを憶えている。
色々な草花が咲いていた、色々な遊びをした。
子供達の残酷な遊びは、虫取り。
私は虫が大嫌いで怖くて触れないのに、飛蝗や蜻蛉に蝶を捕まえては黄緑のプラスチックの丸い窓が付いている虫籠に捕獲して詰め込んだ。
あの虫達は、どうなっていたんだろう?
子供達の擬似家族は、おままごと。
私は、友達の家庭が自分の知っているソレとは同じものではないのだと知る。外での大きな葉っぱや砂や泥を使っての遊びが、家の中でに変わる。其処には、綺麗なおままごとセットが用意されていて。自然の中でのルールとは違う、役割や規則が創り出される。現代とは少しだけ違う、子供らしい残酷さがソコには存在していた。
だから私は、独り遊びが好きだった。
野原や草叢には、沢山の緑があった。
細長い辺りかまわずボウボウと生えている、手をよく切る草があった。これで指を切ると痛くて、赤チン草を見つけ出して応急処置をする。
眠り草とかペンペン草を見つけては、飽きずに夕方まで遊んだ。
ねじり草、そう勝手に名前を付けた花が好きだった。小さなピンク色の花が螺旋状についている雑草。プチっと千切って茎を指でクルクルと回すとピンク色の花が空に向かうようにねじれて行く。
もう、何処にも咲いていない。
小梅とも良く遊んだ。
小梅は使われていない白いブランコがある家で飼われていた犬で、飼い主のおばあさんの変わりに散歩をしてあげていた。小梅はあの野原がお気に入りで、私もそんな野原で小梅とじゃれ合い遊ぶ時間が大好きだった。
そして何時か、小梅もいなくなり眠り草もペンペン草もねじり草もなくなった。
私も今では、あの大好きだった野原という遊び場が消えてしまった事にも馴れて、記憶の片隅に少しだけ残っているだけだ。
だけど、きっと誰も気付いていない。
貴方達の綺麗な家の高い屋根のおかけで空が狭くなってしまった事、私達の遊び場があった事、自然が消えてしまった事。
大切な物が消えてしまったのに、誰も悲しまなくなった事。
微かに、想い出の緑の香り。
夜空を見上げる私は、溜め息と一緒にココロを吐き出す。
いまだに成長していない自分を疎ましく思う。足踏みを続けている自分に気付いてしまう時、それは何も変化のない毎日。
虫籠に捕まえられた虫達は、お母さんが逃がした。
ねじり草は、雑草ではなく名前を変えて花屋で売られている。
小梅は、おばあさんの子供が連れていった。
そして私は、リアルな規則の中で機械仕掛けの魚のように生活している。
機械仕掛けの魚。
銀行にテレビの変わりに置かれていたソレはデヂタル映像の水槽の中でカタカタと動く魚。思わず苦笑してしまったのを思い出す。
だって、まるでその魚が自分自身のようで可笑しかったから。
まるで現実味のない、粗末な事実。
それが、私。
夜空の星に願いを、月に祈りを……
「どうにかしてよ!」
ただの捨て台詞のような言葉には、星達も月もどうしようもないだろう。
だけど、月は聞いていた。
ある日の週末、渋谷にある『ZERO』という店に迷い込んだ。
私はその店に置いてあった「一千一秒物語」という一冊の本を手にした時、見つけてしまったんだ。
遠い昔、宵闇の空一面に月が大きくなった瞬間、盗まれた私の影を。
私の影は、ダンボールの黒猫となってピストルで撃ち堕とされ地上に戻ってきた私の影。きっとまだ何処かで彷徨っている、黒猫。
そして最後のページには、一枚のカードが挟まっていた。
それはまるで、月からの招待状だった。
私は『ZERO』の一風変わったママから稲垣足穂の「一千一秒物語」を譲ってもらった。
勿論、そのメッセージカードの事は内緒にして。
「碧ちゃん! 月を食べたら、どんな味がしたか教えてね!」
私が店を出る時に、ママはそうニッコリと微笑みながら言った。
そして私は、黒猫を探す旅に出る。